救援連絡センター声明と9・25デモの呼びかけ

声 明

安倍は死んでもその罪は消えない!
許すな「国葬」・「治安弾圧」!

2022年8月26日

救援連絡センター

7月8日、元首相安倍晋三が参院選挙自民党候補の応援演説中に銃撃され死亡。
首相岸田はすぐに「民主主義への挑戦」などとこの事態を非難。マスコミも挙げてこれに同調、殺害現場に花束を手向けた弔意を表わす映像が次々と映し出された。
7月22日、政府は閣議決定をもって、9月27日に日本武道館において安倍の葬儀を国葬で行うと発表した。
現憲法発足と共に失効した明治憲法下の天皇の命令により国民が喪に服すことを義務付けた「国葬」を事実上復活させるものであり、唯一「吉田茂国葬」の例があるが、自民党はその後、断念してきたのである。
安倍国葬は断じて認めるわけにはいかない。
明確に国事行為でもあるにもかかわらず、国会論議もなく「憲法史上最長になる8年8カ月にわたり、内閣総理大臣の重責を担った」などと岸田は強弁しているが、二度にわたる政権担当時以前から女性国際戦犯法廷の番組改編に介入したことをはじめ、数々の憲法違反の罪を重ねてきたのである。
教育基本法の改悪、共謀罪、戦争法制定、集団的自衛権閣議決定を繰り返しながら、「モリ・カケ・サクラ」で嘘八百の国会答弁。近畿財務局の赤木俊夫さんに公文書改ざんを押し付け、赤木さんを自死に追い込んだのも安倍晋三そのものである。

一方、今回安倍を銃撃した山上徹也さんは、母親が旧統一教会に入信し、億に達する
霊感商法で家・土地まで奪われ、一家が破滅に追い込まれたことを明らかにしている。
このことによって、安倍晋三がこのカルト集団と親交があり、かつ自民党関係者がこれと癒着していることが次々と発覚した。
単に金の面だけではない。反共産主義を標榜する旧統一教会は、自民党改憲草案と酷似している改憲・戦争のイデオロギーで一致しているのである。
岸田政権が国葬強行によって、安倍が犯した罪を隠蔽し、改憲・戦争へとカジを切ろうとすることに他ならない。
そのために、いま岸田政権は多くの労働者民衆の反対の声を封殺しようとしている。昭和天皇「Ⅹデー」、東京オリンピック開催強行の際と同様に、否それ以上に過剰な警備治安強化に乗り出そうとしている。
東京都教育委員会がすでに、行われた葬儀の際に公立学校での半旗掲揚を求め、「弔意の強制」通達を発している。国葬強行当日までに「表現の自由」をはじめ、労働者民衆の憲法上保障された基本的人権を弾圧することは必至だ。
救援連絡センターは国葬そのものと、それに伴う治安弾圧に断固反対することを広く声明する。

9月25日(日)午後1時~2時 ニュー新橋ビル地下2階 

                                      ニュー新ホールにて集会

その後、銀座にむけてデモ(呼びかけ・救援連絡センター)

救援連絡センター声明

声 明
安倍は死んでもその罪は消えない!
許すな「国葬」・「治安弾圧」!

2022年8月26日
救援連絡センター

7月8日、元首相安倍晋三が参院選挙自民党候補の応援演説中に銃撃され死亡。
首相岸田はすぐに「民主主義への挑戦」などとこの事態を非難。マスコミも挙げてこれに同調、殺害現場に花束を手向けた弔意を表わす映像が次々と映し出された。
7月22日、政府は閣議決定をもって、9月27日に日本武道館において安倍の葬儀を国葬で行うと発表した。
現憲法発足と共に失効した明治憲法下の天皇の命令により国民が喪に服すことを義務付けた「国葬」を事実上復活させるものであり、唯一「吉田茂国葬」の例があるが、自民党はその後、断念してきたのである。
安倍国葬は断じて認めるわけにはいかない。
明確に国事行為でもあるにもかかわらず、国会論議もなく「憲法史上最長になる8年8カ月にわたり、内閣総理大臣の重責を担った」などと岸田は強弁しているが、二度にわたる政権担当時以前から女性国際戦犯法廷の番組改編に介入したことをはじめ、数々の憲法違反の罪を重ねてきたのである。
教育基本法の改悪、共謀罪、戦争法制定、集団的自衛権閣議決定を繰り返しながら、「モリ・カケ・サクラ」で嘘八百の国会答弁。近畿財務局の赤木俊夫さんに公文書改ざんを押し付け、赤木さんを自死に追い込んだのも安倍晋三そのものである。
一方、今回安倍を銃撃した山上徹也さんは、母親が旧統一教会に入信し、億に達する霊感商法で家・土地まで奪われ、一家が破滅に追い込まれたことを明らかにしている。
このことによって、安倍晋三がこのカルト集団と親交があり、かつ自民党関係者がこれと癒着していることが次々と発覚した。
単に金の面だけではない。反共産主義を標榜する旧統一教会は、自民党改憲草案と酷似している改憲・戦争のイデオロギーで一致しているのである。
岸田政権が国葬強行によって、安倍が犯した罪を隠蔽し、改憲・戦争へとカジを切ろうとすることに他ならない。
そのために、いま岸田政権は多くの労働者民衆の反対の声を封殺しようとしている。昭和天皇「Ⅹデー」、東京オリンピック開催強行の際と同様に、否それ以上に過剰な警備治安強化に乗り出そうとしている。
東京都教育委員会がすでに、行われた葬儀の際に公立学校での半旗掲揚を求め、「弔意の強制」通達を発している。国葬強行当日までに「表現の自由」をはじめ、労働者民衆の憲法上保障された基本的人権を弾圧することは必至だ。
救援連絡センターは国葬そのものと、それに伴う治安弾圧に断固反対することを広く声明する。

監獄内でコロナ感染が拡大する中 獄中者の命と健康を守れ!

昨年同様、今年に入って全国の監獄・入管施設でコロナ感染が拡大している。
 法務省が公表した数によれば1月だけでも法務省の職員479人が感染した。
 昨年は職員の感染から被収容者に感染が拡大していった。今年もほぼ同様に、職員が感染した施設から次第に被収容者に感染が広がっている。
 すでに京都刑務所では職員15人・獄中者39人が、府中刑務所では職員9人・獄中者18人が、東京入管では職員64人が感染したことが公表されている。
 この数字はごく一部だけであり、ほとんど全国の刑事施設で感染が広がりつつある。全員に対してPCR検査を実施すればさらに数は増える可能性がある。
 日本の刑務所は文字通り三密状態にあり、高齢者が多く、持病を抱えている人が多いことからも、感染者が重症化する危険性がある。
 獄中医療は深刻な医者不足の上に設備や器具や薬などあらゆる面で不十分なままであり、コロナ感染に対応できる医療機関は法務省関係では存在しない。
 救援連絡センターは一昨年から感染拡大の危険性を指摘し、対応を要求してきたが、法務省は一向に改善しないできた。
 諸外国の例をみても監獄内で集団感染が出た場合は獄中者を釈放するなどの対応をしている。感染者に対してはただちに獄外の医療機関に移送して適切な医療を受けられるようにすべきである。
 昨年は感染者が出た刑務所では温かい食事が提供されず非常食となり、工場作業も中止されたため、運動不足となる。ただ房内でじっとさせられているだけなので免疫力の低下は必至である。
 そういう状況で獄中者を生命の危険にさらすことは許されない。
以下、法務省に要求する。
・感染拡大を防ぐために三密の状態を解消せよ。獄中者を釈放せよ。
・感染者に対してはただちに外部の病院で適切な治療を受けられるようにせよ。
・全獄中者にPCR検査を受けさせろ。
・希望する全獄中者にはワクチン接種による副反応などの説明をした上で接種をさせろ。
・戸外運動または室内での運動を認めろ。
・家族や友人との面会を禁止するな。差入れや通信を制限するな。
・電話での通話ができるようにせよ。
・食事・入浴・運動・暖房など健康維持のために処遇を改善せよ
・コロナ感染の実態を明らかにし、獄中者に正確な情報を提供せよ。
 救援連絡センターは獄中者からの報告を受け、さらにコロナ感染拡大防止のために全力で闘う。
         2022年2月5日  救援連絡センター
法務大臣 古川禎久殿
法務省矯正局 佐伯紀男 殿

10・21 またもや尾行を摘発!ポリ公と排外主義者は結託している!  張本 効

杉並警察署の警備課による張り込みから一年半、恥ずかしくもまたもや革命的警戒心の衰えが露見した。
解散闘争の失敗…というより、呑気に飲んでいただけなのだ。
今回参加したのは、10月21日に行われた在特会のデモへの対抗アクション。
約5年前と比べると隔世の感ではあるが、街頭での極端な排外主義がスプリングボードとなり、制度的レイシズムが温存されるどころか強化されるという漁夫の利的構造は今日の入管政策を見れば明らかである。
戦略もなく反射的に”日韓断交”を掲げる在特会の姿は、安倍の無策な対DPRK外交と表裏であり、実際に政権が直接関知できない事案のための別動隊なのだが、各地での動員は明らかに目減りしていて、今回は十数人と目視で確認できるほどだ。
対抗するいわゆる「カウンター」も専ら諸個人の結集で、そのありようも情勢の変化を正確に反映しているが、警察だけは相変らず多い。
法律や条例ができても、警察は排外主義者を取り締まらない。なぜか。それは、ポリ公自体が国家意思に貫かれたレイシストだからである。
社会的に包囲して拝外主義者を孤立させるという戦略からすれば、権力とどう「折り合い」をつけるかということになるのだろうが、ブルジョア民主主義を求める限りは排除の線引きが変わるだけだ。
このような情勢のもとに、今回の尾行事件は起きた。

わたしたちは行動後に適当な飲み屋に入り、ああでもないこうでもないと酒席を楽しんでいたのだが、2時間ぐらい飲んでもまだ明るく、二次会に行くことにした。
少なくとも、この二軒目には尾行の刑事が店内にまで入ってきていたのだった。
呑気に二次会を楽しんでいたわたしたちはここでも2時間ほど飲み、さすがにそろそろと店を出て帰路につこうとした、その時だった。
「今出てきたあいつ怪しくない?こっち見ながらウロチョロしているよ。右翼なんじゃないの?」
どれどれと見てみると、確かに怪しい。普通、人は目的地に向かって歩く。まったくあてのない散歩というのも、なかなか難しいものだ。
なぜ気付いたかと言えば、わたしたちが立ち話をしていたからなのだが、自販機で飲み物を買うふりをしたり、おもむろに地面にカバンを広げて何かを探しているふりをしたり、つぶれたふりして路肩にうずくまっていたりと極めて挙動が不自然なのである。
うずくまった尾行者を携帯のカメラで撮りまくる。反応があるまで撮りまくる。すると、止まないシャッター音に反応して、赤信号を渡って逃げる。
わたしは奴を道交法の現行犯で私人逮捕することに決めた!
尾行者は少し北に歩き、また横断歩道を渡り、ついには走り始めたが、走り込みで鍛えた私の足にはかなわなかった。
その後の顛末は『救援』17年4月号拙文とほぼ同様で、尾行者は通りすがりだと言い張り、その後パトカーがきて、こちらは先手必勝で「つきまとわれている→つきまとっているのは警察官→違法な警察活動をしている」と主張する、という流れである。その途中で「通りすがりの酔っぱらいだ」といって絡んできた輩がいたが、こいつはペアで尾行してきた刑事なのではないかと思っている。
「通りすがりの酔っぱらい」は臨場した警察官=杉並署員にあれこれ話しているふうであったが、そのうちいなくなった。
わたしは、「警察官である以上は、氏名・階級・証票番号、そして警察活動が適法である理由を明らかにしなければなならない、尾行者が自主的に名乗らないなら照会せよ」と要求する。
尾行者は自らの氏名を名乗ったようだが、杉並署員は無線の照会では犯歴しかわらからないので警察官かどうかはわからないという。
「私の勘違いなのであれば謝らなくてはならないので、警察官による尾行でないことをはっきりとさせなくてはならないから、杉並署でしかるべき手続きで確認せよ」と要求するも、確認中だから待ってくれと、延々と待たされる。
日もまたいだ。通りすがりなのであれば、明日も仕事があったりもするだろう。しかし帰ってはないという。「本部に確認している」とポロリと漏らす杉並署員。これはビンゴだなと思う。
「この数時間、なんでこんなに時間がかかっているのか、どういう進捗なのか。差し支えない範囲でもかまわないので、説明してくれ。それが筋なんじゃないのか」と問うも、パトカーで来た警察官も、あとから駆け付けた宿直の刑事課もひたすらだんまりだ。「本部」からの連絡がなく放置されているのか、到底説明できる内容ではないのか、のいずれかであろう。
最終的には、杉並署に向かい、ロビーで待つことにした。
4時頃に杉並署に到着したのだが、その30分ぐらいして、一人の私服刑事が現れた。
那須周、警部、証票番号981350。
部と課は「捜査に支障がある」というお決まりの答弁で答えなかったが、警視庁本庁から来たことは認めた。ほぼ100%公安デカだろう。
那須は、尾行者が警察官であり部下であること、尾行していたことは間違いないと認めた。
しかし、尾行については、「詳細には確認していないが、適法に活動するよう指示しているので、適法である」という同語反復。なんたる詭弁!
そもそも、捜査の対象なのか?具体的に犯罪との関わりがないところで、無制限に尾行が許されるわけがない。適法であるためには厳しい要件が課されているはずだ。
「尾行が適法ならば、私が尾行者を咎めたことが公務執行妨害の現行犯になるんじゃないのか?」と問うと、詳細に確認してみないと何とも言えない、と。
「今回の件は、上司の私が対応します。訴訟なら広報課に連絡をしてほしい、逃げも隠れもしない」という。
逃げも隠れもしないなら、尾行者を連れてきて、身元を明らかにして、一連の事実関係を説明させて、謝罪させるべきなんじゃないのか。
ちゃんちゃらおかしい。ほぼ朝まで待たされてそれだけかよ…
「あなたの所属する部と課と、部下の氏名・階級・証票番号・所属する部と課を明らかにすれば、今日のところは帰る」と伝えると、確認するので待ってくれと那須。
結局、1時間待たされてゼロ回答であった。長い時間待たせてしまったことは申し訳ないと思わないのかと聞くと、しぶしぶ頷く。お前は地蔵かよ!
この日は、グッタリしながら家路についた。 よし、今日は夕方から迎え酒だ!

階級闘争と革命によって差別は解消するという序列的理解が公式的な共産主義者の見解だが、抑圧は常に複合的でものであり切り分けることができない。
資本主義の発展には生産手段と労働力商品の分離のみならず、略奪による本源的蓄積があってはじめて可能となる。
とすれば、被抑圧民族にとって、天皇制と闘い、レイシストと闘い、入管体制と闘うことが、まさに階級闘争となるのである。
その一端として、無法な尾行攻撃を許さず、排外主義者と警察の結託を粉砕する。追って反撃戦の狼煙があがるだろう、刮目せよ!

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10・31狭山事件の再審を求める市民集会アピール

43年前のきょう、東京高裁の寺尾正二裁判長は、石川一雄さんに無期懲役判決をおこなった。弁護団は「ペテンだ」と抗議し石川さんは「そんな事は聞きたくない」と怒りをこめて叫んだ。この不当有罪判決が、石川さんにいまも「みえない手錠」をかけている。

しかし、第3次再審請求で提出された新証拠によって、寺尾判決は完全に崩れている。

寺尾判決は、脅迫状の筆跡を有罪証拠の主軸だとしたが、逮捕当日の上申書が証拠開示され、あらたな筆跡鑑定によって、犯人と石川さんの筆跡がまったく違うことが明らかになった。さらに、証拠開示された取調べの録音で、当時の石川さんが非識字者であり、脅迫状が書けなかったことが客観的に明らかになった。

また、取調べ録音テープによって、石川さんが、死体の状況や鞄の捨てられ方など犯行内容をまったく知らなかったことも明らかになった。犯行の体験を語れない石川さんを取調官が誘導してウソの自白をつくっていたことが録音された取調べのやりとりで暴露された。「取調べでスラスラ自白した」という警察官の証言が偽証であり、それを根拠に自白は信用できるとした寺尾判決は完全に誤っている。

寺尾判決は、石川さんの自白通りに被害者の万年筆が発見されたとして有罪の根拠としたが、下山鑑定は発見万年筆が被害者のものではないことを科学的に明らかにした。証拠の万年筆には被害者が使っていたインクはまったく入っておらず、異なるインクしか入っていない偽物である。殺害後、被害者の万年筆を持ち帰り自宅のお勝手の入り口のカモイに置いていたという自白は完全にウソの自白である。そもそも、高さがわずか176センチのカモイに万年筆があれば2度の徹底した家宅捜索で警察官が見落とすはずはない。3回目の捜索で発見されるという不自然さとあわせて考えれば、万年筆は捜査機関によるねつ造と言わざるをえない。まさに袴田事件の「5点の衣類」と同じである。

部落差別にもとづく予断と偏見に満ちた捜査、別件逮捕や代用監獄の取調べを正当化し、警察の誤った鑑定と密室の取調べで作られた自白に頼って石川さんを犯人と決めつけた寺尾判決の不当性は明らかである。いまこそ狭山事件の再審が開始されなければならない。

足利事件や布川事件など再審無罪となった冤罪の教訓は誤判から無実の人を救済するために証拠開示と事実調べが不可欠であるということである。しかし、狭山事件では石川さんが半世紀以上も冤罪を叫び続け、多くの新証拠が提出されてきたにもかかわらず、寺尾判決以来43年間、一度も事実調べがおこなわれていない。このような不公平・不公正はこれ以上許されない。わたしたちは、狭山事件の第3次再審請求を審理する東京高裁第4刑事部の植村稔裁判長が、証拠開示を検察官に勧告し、鑑定人尋問などの事実調べをおこなうよう強く求める。弁護団が開示を求める証拠資料を東京高検がすみやかに開示するよう求める。

再審の審理が大詰めをむかえている袴田事件の一日も早い再審開始と無罪判決、すべての無実を叫ぶ人たちの再審開始を求める。そして、冤罪被害者や支援運動と連帯し、司法反動を許さず、冤罪根絶にむけて、再審における公正な証拠開示の確立など再審手続きの改正を実現する闘いを全力ですすめる。

一日も早く石川さんの「みえない手錠」をはずすために狭山事件の再審を実現しよう!

 

2017年10月31日

狭山事件の再審を求める市民集会 参加者一同

【抗議声明】全世界の民衆の闘いを伝えてきた人民新聞社への不当弾圧 編集長不当逮捕・家宅捜索に抗議し、即時釈放・返却を求める 人民新聞社 2017年11月22日

●新体制作りを始めた矢先の弾圧
人民新聞社は1968年に創刊し、毎月3回発行しています。
日本中・世界中で権力とたたかう人々の声を伝えてきました。
この夏に大阪府茨木市に事務所を移転し、世代交代と地域密着でより広い協力体制を作り、編集体制の強化を進めていました。
その矢先の11月21日、突然編集長が兵庫県警に不当逮捕され、事務所が家宅捜索されました。
容疑は「詐欺罪」で、新聞社とは関係が無く、内容も不当そのものです。
私たちは編集長の即時釈放と、押収品の返還を求めます。
●事務所を包囲する異様な捜査
21日朝7時、尼崎市の編集長の自宅が家宅捜索され、兵庫県警生田署に連行され逮捕されました。続けて9時ごろ、20人以上の警察が茨木市の人民新聞社の事務所を包囲し、社員1名が来ると家宅捜索を開始。こちらが各所に電話したり撮影・録音することを禁止し、社員は軟禁状態にされました。
後から来た社員には令状も見せず、立ち入りを妨害。マンション入口に検問を張り、出入りする他の住民全員に職務質問しました。住民を怖がらせて移転した事務所を孤立させる狙いが明らかであり、捜査の不当性が際立ちます。
●全てのパソコン・資料を押収する不当捜査
この結果、新聞社は全てのパソコンと読者発送名簿も押収されました。
新聞発行に多大な影響が出ており、兵庫県警に断固抗議します。また、大事な名簿が押収されてしまったことを、読者・関係者の方々にお詫び致します。
報道では「自分名義の口座を他人に使わせていた」とありますが、それだけで
「最初から口座を騙し取った」と言い切り、逮捕や家宅捜索まで行うのは明らかに不当です。私たちは今回の逮捕・家宅捜索は、人民新聞社の新体制への
あからさまな弾圧であると考えます。
●実質的な共謀罪の適用の可能性が
今回の件で東京でも警視庁が2箇所を家宅捜索し、関係者に任意出頭を要求しており、弾圧の拡大が懸念されます。
6月に成立した稀代の悪法「共謀罪」は、犯罪の無い所に「犯罪をした」と物語をでっち上げ、市民運動や報道機関を弾圧・萎縮させる目的です。
警察は、実質的な共謀罪の適用を始めたと考えます。
●私たちは弾圧に屈せず編集長を取り返し、新聞発行を続けます
私たちは、弾圧には絶対に屈しません。新聞の発行を続け、権力の不正を暴きます。全ての報道機関と社会運動が同じ危機感を持ち、抗議・協力して頂くことを
呼びかけます。
・兵庫県警は編集長を今すぐ釈放せよ!
・全ての押収品を今すぐ返還せよ!
・捜査、弾圧の拡大をやめよ!
勾留されている三ノ宮の生田警察署:078-3330-110
捜査している兵庫県警:078-3417-441
ぜひ、ともに声を上げてください。
【人民新聞社】
電話:072-697-8566 FAX:072-697-8567
メール:people@jimmin.com
ツイッター:@jimminshimbun
★救援カンパをお願いします★
編集長の早期奪還、新聞継続のための救援カンパをお願いします。
郵便振替口座:00940-5-333195 人民新聞社

(人民新聞.comから転載)原発事故の被害体験談④「30代での末期がんは原発事故のせいだ」

病床から東電の責任を告発

松平耕一さん(39歳 東京在住。15年に大腸がんのステージ4に)
福島・関東の住民に原発事故の放射能による体調不良が増えている。広島やチェルノブイリでも、末期がんなどの大病を増やし、若年層の死者が激増した。
今回話を聞いた松平耕一さんは、東京で生まれ育ち、15年に37歳で末期大腸がんが発覚した。以来東京で闘病生活を続け、7月現在、ホスピスに入院中だ。「病者」として、「放射能の影響がある。国と東電を許さない。責任を取らせたい」と公言している。3.11事故の核心と言える、初めての声ではないだろうか。
松平さんが被曝の影響があると考える理由は、①関東全体も被ばく地帯。内部被曝はわずかでも病気になりうる。②親との関係が悪かったため自宅に帰れず、ほぼ毎日「食べて応援」を掲げて福島産の食材を無制限に使う「吉野家」や「サイゼリヤ」などで外食し続けたから。③事故直後は仕事で毎日銀座の街頭に立っており、その後も東京では特に汚染の高い東部で仕事をし続けたから、などを挙げる。若いほど新陳代謝が活発でがんの進行も早まるため、発覚時には末期であることが増えるだろう。
松平さんは、私の友人であり、運動仲間でもある。昨年から「福島原発事故による健康被害者の会」を一緒に立ち上げた。私は東京から関西へ避難したが、帰省の度に面会している。松平さんは自身の病態や原発の影響をネットで発信し続けてきた。闘病方針も自ら選んできた。彼の存在と声は、私が健康被害問題を取り上げ運動する原動力となっている。彼は、「自分の余命は短く、多くの人に声を届けたい」と話す。
「だめ連ラジオ・熱くレヴォリューション!」が
ホスピスの病床で松平さんに行ったインタビューを、文字起こしさせて頂いたので、ここに掲載する。ぜひ多くの方に読んで頂きたい。(編集部・園)

※「だめ連ラジオ」インタビュー・前半音声:https://www.youtube.com/watch?v=jkRuI9nq79w

後半音声:https://www.youtube.com/watch?v=WDw8rmlmKFE

見つからない発癌 発見時は末期

見つかった時点で大腸がんのステージ4で、肝臓に転移していました。5年生存率は18%ということでした。癌が広がっている範囲が大きくて、手術ができない状態でした。抗ガン剤で治療し、腹痛や便秘のせいで入退院を繰り返してきました。大腸が機能していないので、人工肛門を造設していて、不便な思いをしています。副作用のせいで、いつも具合いが悪く、1日中寝ていることが多かった。激しい苦痛を経験し続け、6月からホスピスに入りました。
病気が見つかるまでの体調ですが、15年11月にものすごい腹痛に襲われて、病院に行って癌だとわかりました。発見されるまで、1年かそれ以上の間、1日6回も7回も下痢があった。精神性のものかと思っていました。10月、11月には、トイレの前で立てなくなり、ずっと転がったままでいて、救急車を呼ぼうかというくらいの状態になりました。
1年に1度の健康診断は受けていました。徐脈があったこと以外は、まったく異常はなかったです。2015年夏に、会社の健康診断を受けています。また、10月には、治療薬検査のバイトで入院しています。また、自転車での転倒とか、胸をぶつけるとか、物理的な原因がきっかけとなり、右胸の下辺りが痛むという症状が、昨年の5月と9月にありました。この時は整形外科にかかったのですが、異常は見つかりませんでした。その時点で精密検査を受けていたら、癌が発見されていたのではと思います。癌による炎症が内臓で起こっていたのだろうと考えています。
私の場合、牛肉や添加物の摂りすぎ、野菜不足の生活、日々の精神的ストレスなどは、癌の原因になったと思います。しかし、私の歳で癌になるのは珍しいと思いますし、原発事故との関連はありうることだと思っています。

夜も叫び続けるがんの苦しみ

15年末から闘病してきましたが、がんはきつい。みんなならない方が良いと思います。自分は以前から致死念慮のようなものがありましたが、甘かったです。やはりキツイです(号泣)。最近は語る気力もなくなってしまって。どうしようもない。沈黙せざるをえなくなる。やはり「命を大切にする」のは大切なことだと思います。
今は寝返りを打つのも辛く、各所、特に股関節が異常に痛みます。「助けてくれ!」と夜中じゅう叫んでいました。でもそれが今の地元の救急病院では伝わらず、放置されていることも多かったです。その時は夜中じゅう絶望していました。超大型の病院に行けば回避できたかもしれませんが…それもそれでがん研究の対象にされてしまう。 結局地元の病院に通い続け、助けてくれる身内の通いやすさを優先しました。
しかし、身内には苦手意識がありますし、身内のせいでがんになったのではという思いもある。どうしてこんな人生になってしまったのかと…(号泣)。どうすれば苦しみを少なく死ぬことができるのか、がもう自分のテーマになっています。 しかし、ホスピスに入れるのは、ある程度お金のある人なんですよね。入れてなければもっときつかったと思います。僕は両親も姉も健在で、身寄りがある。それが無い人の苦しみや絶望は、想像するだに恐ろしいです。家でがん死せざるをえない絶望感は、半端でないと思います。その時「助けてくれ!」と叫んでも、隣近所が助けてくれるかどうか、厳しいですから。

事故との関係伝わらない悲しみ

昨年春に「福島原発事故による健康被害者の会」を作り、4月、5月と集会を行いました。関東の被曝被害を当事者自身が語り合いました。僕は、37歳でがんになるのは早すぎると思います。40歳は国にとって一つの敷居で、40歳以上だと大腸がん、胃がん、肺がんなどのがん検診が受けられるんです。じゃあ40歳以下は切り捨てるのかと。がん患者はどんどん増えるし、被曝との関わりを考えなければいけない。それなのに声が伝わらない悲しみが、ずっとあります(涙)。東京圏の活動家たちも、反原発運動と言っても、自分たちが被曝の当事者として闘っていくことに関しては全然足りていない。煮え切らないものがずっとあります。
放射能は目に見えないから、因果関係の論証は厳しいなと思いつつ、目に見えないからといって「無いんだ」と絶対に言わせてはいけないんです。目に見えないものとの、想像力の闘いが必要だと思います。関東圏も確実に放射能汚染の数値が上がっているので、自分がもし病気になったら、原発事故と関連があるんじゃないかと想像してほしいし、そう主張してほしいし、主張する人がいたら手伝ってあげてほしいと思います。病気はこれからもどんどん出て来ると思います。
だんだんと腸が体から出てきてしまったので、この辺で終わりにしたいと思いますが…やはり、ガンはヤバい。怖い。繰り返し伝えたいです。以前友人に「抗がん剤は使わない方がいい」とアドバイスされましたが、もし使わなければ、自分はその数カ月後には死んでいたと思います。ただ、抗がん剤は生命には不自然なことをしているわけで、自分で自分の身体を傷つけている。医者には、長く生きられるかどうかを見る実験台にされているようです。
原発は恐るべき環境破壊でもあるので、地球も、生命も…ちゃんと尊重しようよ、と心から思います(号泣)。
最後に、松平さんへのインタビュー「3・11被ばく被害者は語ることができるか」から一部転載する。英訳され海外にも紹介された(全文はhttps://radiationdamage311.wordpress.com)。
「福島原発事故の本当の全容は、未だまるで見えていない。ここでは『3・11の被曝被害者』というものの外延を広げたいと思う。福島の近隣圏や関東圏までを含めた東日本の在住のすべての存在は、可能性としての『3・11被曝被害者』でありうる。そして、東日本在住の多くの病人は、実は、可能性としての『健康被害者』でありうる。
東日本の多くの地域で、原発事故後、放射能汚染が観測された。1年間の被曝限度となる放射線量を、平常時は1㍉Sv未満と定めているが、これを超えて被曝させられた人々は、東日本において凄絶な単位で存在する。それはすべて、『3・11被曝被害者』であると定義できるはずだ。この意味で、生まれてこのかた38年間東京都民であった私、松平耕一は、間違いなく『3・11被曝被害者』であると言えよう。
そして、今、松平は1人の病人であるが、もしかしたら、可能性としての『福島原発事故による健康被害者』かもしれない。つまり私は、私たち東日本在住の病人は、『3・11被曝被害者』であることは名乗りえる。私は、文学的な想像力によって、『原発事故による健康被害者』の立場へと跳躍することで、その健康被害者の、歴史的責任について検討したいと思っている。」