※以下は松平耕一が、雑誌「情況」連載用に準備した記事です。「情況」編集部に許可を取り、ここに掲載させていただきます。 【文化時評】「3・11被曝被害者は語ることができるか」松平耕一

 「3・11の被曝被害者」とは何か、誰であるのか、そんなことを問うてみたい。福島県の地域住民に、そして、福島原発の労働者に、甚大な被害をもたらしてきている福島原発事故だが、その災害の本当の全容は、未だまるで見えていない。福島原発事故による「被災者」といえば、主に、福島県での、政府による避難指示区域の住民のことを指すことが多かろう。そして、福島原発事故による「健康被害者」と言えば、その焦点は、福島原発の作業員や、福島県での小児甲状腺がんの患者となるはずだ。しかし、ここでは「3・11の被曝被害者」というものの外延を広げたいと思う。福島の近隣圏や関東圏までを含めた東日本の在住のすべての存在は、可能性としての「3・11被曝被害者」でありうる。そして、東日本在住の多くの病人は、実は、可能性としての「健康被害者」でありうる。しかし、東日本在住の特定の病人が「被曝被害者」であり、かつ「健康被害者」でもありうるということを論証するためには、疫学的・科学的な検討が必要になる。この論証過程を疎かにすると、「放射脳」と罵倒され批判される危険性を冒しうる。
 東日本の多くの地域で、原発事故後、放射能汚染が観測された。国際放射線防護委員会(ICRP)の2007年の勧告では、一年間の被曝限度となる放射線量を、平常時は1mSv未満と定めていたが、これを超えて被曝させられた人々は、東日本において凄絶な単位で存在する。翻って考えてみるに、被曝被害というものを、細かく見ていけば、自然放射線以外の、原発事故による放射能汚染をほんの少しでも受けた人々は、すべて、「3・11被曝被害者」であると定義できるはずだ。この意味で、生まれてこのかた38年間東京都民であった私、松平耕一は、間違いなく「3・11被曝被害者」であると言えよう。
 そして、今、松平は一人の、いまどき珍しくもない病気の病人であるが、もしかしたら、可能性としての「福島原発事故による健康被害者」かもしれない。つまり私は、私たち東日本在住の病人は、「3・11被曝被害者」であることは名乗りえて、一方で「福島原発事故による健康被害者」であると言い得るかどうかには、多少の蛮勇が必要な場合もある。
 私は、この文化時評において「3・11被曝被害者」の立場から、文学的な想像力によって、「原発事故による健康被害者」の立場へと跳躍することで、その健康被害者の、歴史的責任について検討したいと思っている。まずは次のレポートを読んでいただきたい。
○松本麻里に聞く
「事故から5年目にあたって「被曝被害」をどう考えるか――フェミニズムの視点から」
(この章は、2016年5月5日の「福島原発事故による健康被害者の会(以下、被害者の会)」による集会「関東圏の放射能被害vol.2-広がる被害、つながり、避難という希望」における話し手の発言を編集し、松本麻里へのインタビューの形にまとめなおしたものです)
――「被害者の会」は、3・11以降の反原発運動や国会前での抗議行動をやっているなかで出会った人たちが始めた集まりです。もともとは、東京電力や国の、原発事故の責任追及や、福島の子供達の被曝の被害や、避難者の苦しみに対して、自分たちで支援をしよう、責任追及をしようというアクションをしてきたわけです。ですが、事故から5年たって、その5年目というのは、チェルノブイリ原発事故で、爆発的に、さまざまな健康被害者が増え始めた年でもあったわけですね。それを自覚しながら、実は自分たち自身にも、いろんな健康被害が出てきているんじゃないかということを話し合っていました。大腸癌、心臓の疾患、甲状腺異常、皮膚病やアレルギーの悪化、食道炎の悪化、化学物質過敏症の悪化といったものに苦しめられている仲間が、いっぱいいるじゃないかということに改めて気づきました。そして、福島の健康被害が、あれだけ言えなくなっている、避難も口に出せなくなっている。この状況を変えるには、関東での健康被害、大人の、若者の健康被害も声を出していかなければならない。誰もが放射能被曝で健康被害がでうると、そしてそのことに、国や東電は責任を果たさなければいけないんだということへの、流れを作っていきたいと思っています。
 今回は「被害者の会」の松本麻里さんにお話をお聞きしたいと思います。松本さんは、もともと、現代思想の分野でフェミニズムの研究や論文を発表されていました。原発事故後は、まさに被曝の問題について、論文を書いていますね。私たち、健康被害に苦しむ人や、それに関心がある人には、何が必要であるのでしょうか?
松本 もともとフェミニズム、女性に関するさまざまな問題について文章を書いていたりしたんですけれども、3・11以降、はじめのころは原発事故問題について、ちらっと文章を書いたりしました。しかしそのあと、具合が悪くなってしまった。具合が悪くなったのが、結局なんだったのかと自分にして思うと、やっぱり「被曝」の問題が自分にとってはメインテーマだと思っていたんですけれども、それに対して周りの反応が、あまりに冷たいというか無関心というか、そういうものだったんですね。「被曝」について子供を守ろうとする母親への視線が、即「母性主義」であるというような短絡的な批判が多かった。左派やフェミニズムでもひどかった。その後、健康被害が顕在化している現在から照らすと、結果として誰を、何を利してしまったかというと、「安心派」の言説です。
 個人的なことを話しますと、1985年に、キエフにちらっと行っていたことがあって、まさにチェルノブイリの前年ですね。そのあと、向こうの日本語を勉強している人たちと、ちらちら連絡をとっていたりしたんですが、だんだん音信不通になっていった。郵便の事情もあったんですが、当時まだ小さかったんですが、あるとき、キエフのまだ若かった人が、白内障になったということを聞いておどろきました。若い人がなるものなのだ、と。いまにして思えば、ですが。そのときに、原発事故が起きてしまった社会、その社会がゆっくり壊れていくということを感じて、記憶に残っていたのかもしれません。
 ですから、日本において、3・11の原発事故が起こったあと、まっさきに頭をよぎったのが、被曝の問題だったんですね。しかし、これはもちろん頭ごなしに批判するわけではないんですが、もちろん私も再稼働反対にちがいはないのですが、特に首都圏だと「再稼働反対」という声がメインだった。それをテーマにいろんなデモや集会がもたれた。私はその中で、何かが置き去りにされているし、言わなければいけないことを、蓋をしながら運動とか政治活動とかをしていて、本当に向き合わなければいけない何かを騙し騙ししながら、やっているのじゃないかと思っていた。そういうことは、はっきりと言葉にはできないし、言ったところで「大丈夫」とか、みんな「ポジティブに考えたい」というのは、否定できないと思うんですよね。「気をつけているから大丈夫」という風に思いたいというのは否定できないというのはある。
 でも心の底にある不安を押し殺していることが原因で、自分の態度がとげとげしくなって、周りに不理解があったりとか、自分で勝手に壁を作ったりとか、そういうことがこの五年間でした。
 そういった中でも避難しているお母さんと交流したり、自主避難して一生懸命言葉を発している方、自律した動きを作っているかたは日本全国にいると思うんです。そうしたディアスポラの経験から発している人たちとはつながってる感覚がある。逆に近くにいる人とは話ができないけれども、遠くにいる人とは話ができるといったような、不思議な、原発事故がもたらした、距離の組み換えみたいなものの中にいたなと思うんです。目には見えないし、貨幣や物理的に還元できないけれど、関係性の崩壊、ある意味で、これも原発事故がもたらした被害であり、状況だと思っています。
 そうこうしているうちに、実は今年の1月に、私の同居人が48歳で、突然、難しい癌ということが分ったんですね。全然兆候がなかったし、もともと発見が難しい癌ということもあって、今治療中なんですけれども、ステージ4というかなり重い段階で見つかったんですね。こういうことって、なってみないと分からないのですけれども、一般的に、自分の頭の中で「原発事故が起こりました。それで、甲状腺がんが増える」というのは、当初から知っていたことではあるのですけれども「癌患者が統計上増える」という知識があることとは、別の問題といま格闘しています。自分が看護・介護する身になってみて「一人の人間が癌になるということは、こういうことなのだな」と思って、今、学びの最中という感じなんです。確かに「統計的」に健康被害が増えるということは否定できないと同時に、また統計的に処理されることにやっぱり抵抗感がある。このあたりの感覚はまだうまくいいあてられていません。
 私たちの身体は個別的ですし、病気や症状は個別的ですし、癌といったところで、お子さんが甲状腺がんになるというのと、48歳の人がなるのと、あるいは高齢の方がなるのと、女性がなるのと、男性がなるのと、治療法と同時に、抱えて、克服しなくてはならない問題も、大変個別的です。そうしたなかで「原発事故で癌が増えますよ」「病気が増えますよ」と、それは確かなんだけれども、もう少し別の言葉というか、別の切り口みたいなもの、病を抱えたものどうしがつながれる言葉、病を抱えた人、あるいは看護する人、それを支える人が発言しやすい環境が必要かなということをいま考えています。
 私自身は、相方の癌について言うと、本人は「これは被曝の影響だ」と思っているわけではないのです。つまり被曝が唯一の影響だ、と断定しているわけではありませんし、そのための材料もありません。ただ、たくさんある、いくつかある原因の一つだろうというように、私も、相方も「否定」はしていません。そうした立場です。
 また2016年の1月に告知を受けて、そのあとてんやわんやであちこち走り回っているときに、福島で「311甲状腺がんの家族の会」が立ち上がりました。その会見を見ていると、若いお子さんたちが癌になるのと、40代の癌と、ケースは違うんだけれども「こういうことが必要なんだな」ということを、涙が出るような思いで見ました。恐らくお子さんの甲状腺がんというものは、これまですごくケースが少ないですよね。希少ケース。
 今病院などでも、患者さんの自助組織や、セルフヘルプグループがあると思います。それはとてもいいことで、一方、希少癌、希少発症例はこれまで母数が少ないからつながることも難しくなる。そんな折に、必要な相互扶助的なもの、まず繋がることでたちあがって、という人々の営みに感銘をうけました。
 と同時に、この「被害者の会」のブログの記事で「デモではなくて、自分の身体や病院が闘争の場になるんだ」という文章を目にして、それにも感銘を受けました。原発事故が、「起きてしまった」あとの社会に不可欠な認識だと思えました。
 私が事故直後に言いたかったのはそういうことでした。ここまで、放射性物質が首都圏に降り注いでいて、それは政治的な課題であるのと同時に、個人が抱え込まなければいけない問題です。また自主避難や移住の問題も「個人化」されてしまっている。個人として格闘しなくてはいけない問題であると同時に、社会的・政治的な糸口というものを、どこかに持たなければいけない。また、健康被害は性別を問わず、といえども、多く「介護」「看護」や「ケア」に関わる女性の問題でもある。
 私は原発事故の直後、母親たちの子供のケアを、資本主義の中での「再生産労働」「ケア労働」の視点から論じました。巨大科学事故の「負債」を、誰が担っているのかという問題です。それも貨幣に換算できない領域で。「単なる母性主義だ」とか「家族主義を強める」というフェミニズムの論者もいましたが、検討違いです。なによりその人たちは、初動の自分たちの言動が都合が悪かったのか、今やすっかり何も語っていません。福島の甲状腺がんの多発や、自主避難者の母子家庭に支援の手をさしのべようとはしていません。この初動で、全体状況を見誤って、事故の当事者にむけられた批判は、どこかでいったん検証しなければならないと思っています。
 今思うと、被曝による健康被害の情報は、適切なものも、眉唾なものも、事故後にバーっと広がったと思います。正直、玉石混交でした。情報のアナーキー状態。
 それでも人々は、そのなかから賢明に取捨選択し、ある種の「リテラシー」「状況知」が形成されたり、獲得されていたと思うんですね。ところが次第に、それが黙らせられていく「瞬間」「出来事」というものが、はっきりあったと思います。目に見える制度的「検閲」以上に。それはメディアが仕組んだとか、行政がとか、環境省が仕組んだ、と明確に断定できるわけではなく、意図せざる結果なんだけれども、「健康被害」を話すことをためらわさせる状態が作られていった。
 たとえば、一つには、皆さんご存知かと思いますが「『美味しんぼ』の鼻血問題」があったりしますよね。あれも何が問題かというと、ああいった表現を問題にされる方もいらっしゃるかもしれないけれども、あの表現に対して、町から意見が出て、そのあと福島県から意見が出て、最後は環境省が「そういったことはありません」といったような否定を出した。
 私はフェミニズムになじんできたので女性の身体に関することも、かつては支配的言説によって、語ることが封じ込めらてきたということを知っています。たとえば月経の話でいうとそれは「不浄なものだ」とか、「個人的な問題だ」と時代によって言われたりしてきた。それでも、言いづらいことを、女性が声をあげたり、あるいは、社会的に認めさせるための様々な動きがあった。「生理休暇」を認めさせるとか。個人的にさまざまな症状を抱えるとか。
 3・11後の健康不安や、生活に関する懸念は、どうも政治的空間のなかですら黙らされっぱなしで、話すことすらタブー化されてしまう。それは、検閲であるとか、制度的にかっちりと決められているわけではないのですけれども「人の心がもたらす検閲」というか「自発的検閲」というか、「そういう話をするのはやっかいだから」とか「また被曝は怖いとか言ってんの?」と。ともすると、その人の資質にまで還元されてしまう。
 でも今も問題にして、語っていかなくてはならないというのは、なにより状況が閉塞化しているからなんですよね。「まだそんな話してんの?」「まだ心配してんの?」という人には、即、切り返したいですね、逆に。「被曝対策に関する政策や、改善・進展したものってありますか?」と。避難に対する補償の話でも、制度的にでも。ないでしょう?
 ポール・ヴィリリオはチェルノブイリ事故を、「時間の事故」と呼びました。このゆっくり崩壊していく社会を凝視し、観察していかなければならないのだと思います。
 また、一方、ロシア研究者の尾松亮さんが研究・報告されていますが、チェルノブイリでの住民と原発収束作業員の運動があり、日本社会でも病者の運動、公害の健康被害を受けた方の運動はたくさん知られていますね。
 戦後70年経って、今も原発訴訟はたくさん起こっています。そういうところを参照するにつけ、まず「被害を受けたかな」という人たちが、話しやすい環境、つながっていく言説空間を時間をかけて作っていかなければならないと思います。チェルノブイリ後の社会支援については、「社会体制が異なるから日本ではできない」と即反発をよびますが「核災害史上」の対応としておおいに参照されるべきだと思っています。
 被曝の問題は、立証不可能だというところが、原子力を推進する側には強みである。原発事故との対応関係が1対1でないのはやっかいなことです。それでも心のどこかにとめておくと同時に、何らかの記録というものを、つけていく必要があるんじゃないかと思っている。
 本来は、「被害を受けた側」が立証しなくてはならないということ自体、「理不尽」なことです。それでも今からでも遅くないですけれども、3・11の前後に何をしていたかとか、どこにいたかとか、関東であれば自宅の周りの土壌だとか、記録をつけていく。それから私は関東で、ガラスバッジを1週間つけるプロジェクトにも参加したことがあります(これは身体の前面のみ計測するのでトータルな被曝量が把握できないという問題もありますが)。そういうものを今からでもやってみるとか。その積み重ねが、将来的には何らかの強みになるのではないかと思っています。
 また繰り返しになりますが、癌や、難病の患者さんの取り組みの中で積み重ねられてきたことだと思うんですけれども、経験の共有化だとか、相互扶助だとか、情報の交換だとか、すごく必要だと思います。「被曝が怖い」「被曝は大変だ」というイメージの中に、病気のイメージの具体性のなさというのがあると思います。
 事故から5年経って、今は、議論している時期をとっくに過ぎている。どれが正しくて、どれが正しくないかということではなく、具体的に自分の身を守る、自分が病気になったときにどう対処するかということを、少しでも、孤立するのではなく、共有化しなければいけない。具体的な自助組織的なもの、自助組織でありながら、助け合いであって、かつ政治的でもあるというか、そこで完結せずに、社会に開かれているような形をとっていくようなことが必要なのでしょう。
――「『美味しんぼ』問題」や他のことでも、反原発の言説を潰すためのものとして、理学者、物理学者、科学啓蒙家などの、自然科学者の、見えないところでのネットワークのようなものが存在していて、言説を抑圧しているように感じるのですが、どうでしょうか?
松本 「「被曝」潰し」の言説がどこからわいてくるのかということですよね。それは、経済力があるのか、利害関係があるのか、それとも自主的なものなのかということですよね。それについては、不明点が多々あります。調べに調べて、特定すれば、特定できるところはあるかなと思っています。気がかりなのは、3番目の自発的検閲、自発的安全神話への服従というべきものが、力を持ってしまっているというのが、すごく怖いと思います。
 「こいつらが組織的にやっているんだ」というのだったら、1個つかまえれば、これがお金の出元で、こうなっているんですよというのは論証可能です。そういうことをやっていらっしゃる方は、原子力広告の部門で、本間龍さんがいらっしゃいますね。また少し別の領域ですが、福島第1原発の津波の「想定外」という言い方が、ばーっと広まったわけですが、この検証に関しては添田孝史さんが原発立地までさかのぼって「想定外」ではなかったことを立証しています。いずれも大変な労力を費やしておられます。また日野行介さんの著作も不可欠ですね。
 そうした優れたルポルタージュなども手掛かりに、3・11のあとの被曝過小評価の言説検証は行われるべきと思っています。もうひとつのやっかいなほう、身の周りの日常生活で、人間関係を分断していくものは自発的な検閲や自発的な服従です。積極的に支配者の言説に加担してしまうのは何でなんだろうかというのは常に留意したいですね。顕在化する被害が空間的、時間的にも広範囲、多岐にわたっていることから「つながること」「連帯すること」がむずかしいというのが、原子力事故被害の特徴なのだと思います。とりわけ新自由主義とネオリベラリズムを経由して自己責任論、自助努力論がすっかり浸透してしまった社会ですから。
 またこの事故は、ソーシャルネットワークが発達した中で起こった、初めての事故だったわけです。欧州原子力共同体、ユートラムでは「ソーシャルネットワークが原子力災害にどう機能したか」ということがすでに研究テーマ、分析対象になっています。
 私も事故当初最初の2年3年くらいで、積極的に安全神話を信じていく知人、友人に対して「何であいつは寝返りをうつようなことを言うんだ」とか思っていたのですが、あまり思っても消耗するだけなので、今は世論形成に動員されていく対象として眺めてしまうことがあります。あきらかに被害の過小評価の線上にある「「被曝」潰し」の言説に、人々がなぜ主体的に服従してしまうのかということ。もちろんケースは違いますが、過去に、水俣病や原爆の被害でも、いろいろとあったりしたと思います。そういったところと照らし合わせながら、見ていく必要もあると考えています。
 事故から6年目を迎えて、これからも顕在化する健康被害も含めて、有形無形の被害、人々のつながりを分断していく力はますます強大になっていくでしょう。2017年の3月には自主避難者への住宅提供がうちきられようとしてる。最近政府が言い出したのは2021年には、なんと帰還困難区域も解除する方針です。オリンピックも含めて、日本政府は全力で、原発事故の収束演出にやっきです。これは個人の記憶という以上に、風化させてはいけない、と言いながら、事故の責任もあいまいに、事故後の対応の責任もあいまいにするという「構造的風化」の社会的演出がますます強まっています。
 そして、ここではエビデンスを示しての論証過程は省くが、ごく少なく見積もられたICRPによる計算のモデルを利用したとしても、福島原発事故による放射能汚染の人的被害で、年に数千人の過剰な癌死が東京圏でも増えると言えるそうだ。このことは確認しておきたい。
 一つ指摘したいのは、101万人のがん患者が見つかるとか、放射能の被曝により東京圏で数千人の癌死が増えるというのは、ただの統計による数字に過ぎないということだ。一人一人のがん患者は、それぞれ、別の状況におかれて、病床にて苦痛を受けている。
 ところで、私はテレビが嫌いでまったく見ないので知らなかったが、本稿執筆中、鳥越俊太郎という人が東京都知事選挙に出ていると聞いた。その人も、私と同じく大腸がんで、肝臓に転移していて、さらには私も転移していない、肺にも癌があったが、今では元気に都知事選に取り組んでいるから、松平も頑張ってね、という旨の励ましを人様からいただいた。気にかけてもらえて私を前向きにさせるために、声をかけてくれているのは分かる。しかし、誰それの重い大腸癌が治ったからといって、私も同じように治る保証があるわけではない。
 癌患者をしばらくやっていると、「癌ハラスメント」みたいなものがあるのかなと感じることがある。「同じ大腸癌で」、「同じステージ4だけど生きている人がいる」と言っても、それぞれの人を待ち受けている運命は、一様のものではありえない。
 蛇足に蛇足を重ねるようだが、鳥越は女子大生とのスキャンダルが噂されていて、その件について、私は鳥越はシロだと思う。それもともかく、私は久しぶりにセックスをしたら、脱腸が起こってしまった。腹部に少しでも圧力がかかろうものなら、人工肛門から腸がはみ出してきてしまうのだ。今は、脱肛が癖になり、身を起こしていたり、心理的なストレスがかかったり、食事をした後には、切腹した侍のごとく、ダラリと内臓が吹き出てしまう。ほうっておくとどんどん出てきてしまうので、手で押し込んだり押さえておく必要がある。体内で腸がくっつかずにブランブランの状態になっているためらしい。医者には、抗がん剤がよく効いた結果としての副作用の可能性か、癌が悪くなっている可能性かのどちらかだと聞いた。
 こんな状態では、女性と二人で部屋で会うのも怖い。もう死ぬまでこんななのかなと、目の前が真っ暗になり、思考が停止した。何日か前に、親に「孫の顔が見たい」といった趣旨のことを言われたことを、ウンザリと思い返した。脱腸の症状は、横になっていれば治まるのだが、このままでは、ほとんど起き上がることのできない、寝たきりの生活になってしまうのではと危ぶんでいる。同じ大腸癌患者といっても、その闘病生活は人により様々である。
 原発を癌にたとえる人がいた。悪性腫瘍は人間の仲間のふりをして、免疫細胞の攻撃を逃れ、健康な器官へと仲間を送り込み、そこを汚染し、身体中の至る所に転移し、次々と腫瘍を増やしていく。そして、身体の主要な器官を一つ一つ破損させていき、やがて死を招く。地球にとって原発とは癌だ。原発推進派は、聞こえのいい言葉で原発の必要性を説き、「明るい未来のエネルギー」を騙り、日本社会に深く根を張った。世界における原発勢力という病巣は、深刻だ。
 私は、私自身が、「原発事故による健康被害者」かどうかは分からないが、少なくとも「3・11被曝被害者」の一人として、次のことだけは語りたい。それは、悲惨な癌死を一人でも増やす原発を「決して許すな」ということだ。
 癌は、それぞれの人の、一つ一つの内臓を不可逆的に損傷させていき、痛みおおき死によって、患者を癌死させうる。亡くなるがん患者には、それぞれの人に、それぞれの人の文学的生がある。先行きなき、終わった科学技術である原発政策で、そのような癌死患者を、一人だって増やしてはいけないはずだ。本当に勘弁して欲しい。
2016-09-06 PM-15:18

ショックドクトリンによる共謀罪国会再上程阻止!国家緊急権反対! 盗聴拡大・戦後刑事司法解体法の廃案を勝ちとろう! ―戦争・治安法ラッシュを阻止する闘う流れを共同して創りだそう―

戦争国家実働化を阻止しよう!

今春は戦争・治安法改憲攻防の山場になる。戦争法・辺野古・反原発などを先頭に実働化阻止攻防が続く一方で、国内安全保障体制確立を目指す治安立法攻撃が相次ぐからだ。11・15パリ同時襲撃事件に対し、オランド仏首相は自らの空爆を棚にあげ・これは戦争だ・と叫び、気候温暖化反対デモ参加者200余名を逮捕するなど、いまも全土に戒厳態勢を敷いている。  5月伊勢志摩サミットを睨む安倍政権は、12・4「テロ対策の強化・加速化」方針を決定し、警察庁SAT(特殊急襲部隊)が自動小銃を携行する決定を下した。 昨年の戦争法攻防を反省することもなく暴走を続ける安倍政権は、国家緊急権を軸にした改憲に向け、その実質的態勢強化に向かっているといえる。惨事を自ら仕掛け便乗するショックドクトリン以外のなにものでもない。  私たちは、9・11事件を奇貨とした米・ブッシュ政権が、大量破壊兵器所有の大嘘で世界中を騙してアフガン・イラク戦争を仕掛け、IS台頭など中東に戦争と虐殺、大量難民を引き起こした直近の歴史を忘れるべきではない。  加えて、オランド政権が延長した非常事態法の内容に強く注目し警戒する必要がある。2010年頃から、米・英・仏・独・露・中そして日本など世界的な反・テロ・法ラッシュが続き、新たな段階に突入しているからだ。アルジェリア侵略戦争を機に制定された非常事態法は、直近では2005年パリ近郊での移民労働者叛乱に仕掛けられたが、今回は同法を改悪して適用され、更に憲法改悪まで目指されている。 劇場・集会場閉鎖、集会禁止、 危険な者の居所指定と警察・憲兵隊への出頭命令、 昼夜の別のない家宅捜査、 マスコミ等の規制、 居所指定されたメンバーが属する団体の解散命令などが、その内容である。新自由主義の危機深刻化の中で、従来型の統治能力をほぼ失ってきている帝国主義者らにとって、国家緊急権はオールマイティ・カードとしてある。  伊勢志摩サミットを控えた日本警察も『警察学論集』本年1月号で・テロ・対策特集を組み、官民共同で、治安弾圧・管理態勢を強化している。現場での弾圧エスカレート─秘密法に次ぐ盗聴法・司法取引そして共謀罪─国家緊急権による改憲は、文字通りワンセットである。民衆運動の未来を賭けて、何としても打ち砕かなければならない。 共謀罪国会再上程阻止!惨事便乗の安倍政権は恥を知れ!  共謀罪を再上程しようとする自民党の動きや『産経』の扇動は、ショックドクトリンの最たるものである。しかし、共謀罪国会再上程の策動は一昨年も前から菅官房長官らが国連組織犯罪条約批准に必要だと公言して、虎視眈々と狙ってきたものである。マフィア対策を主眼とする同条約は、パリ同時襲撃事件やテロ対策とは直接の関係はない。デマを流し、使えるものは何でも使おうとする政治姿勢は強く糾弾しなければならない。  『産経』が悪扇動する・国内テロ・対策としての・組織犯罪準備罪・の骨格は、第1次安倍政権が画策した・テロ等謀議罪・と瓜二つである。しかも、当時の売り物であった(今では700近くに上ると推定される)対象犯罪削減に全く触れないなど、安倍政権の強硬姿勢が露わになっている。  民法改正など昨年通常国会来の積み残し法案や刑訴法等改悪案参院審議が残り、常識的には今通常国会への共謀罪上程は無理だとされるが、2月に東京で国際テロ・国際組織犯罪専門家会合が開かれるとの情報もあり、予断を許さない。早急に反対の声をあげ、反撃に起ちあがろう。 刑訴法等改悪案の参院廃案を勝ち取ろう!  刑訴法等改悪案をめぐる攻防は続いている。盗聴拡大・裏切りや密告の制度化・冤罪拡大をねらう刑訴法等改悪案は、衆院通過を許したものの、反対運動の力で、政府・法務省・日弁連執行部などが狙っていた昨年通常国会成立を阻止した。・全会一致・の短期・拙速制定に賭けた法務省らの目論見は失敗した。安倍政権の秘密法→盗聴法→共謀罪制定による現代版治安維持法態勢構築への野望に対して大きな打撃を与えている。  昨年通常国会閉会以降も、日弁連人権擁護大会情宣、院内集会、福岡市民デモ、全国52単位弁護士会への反対声明要請、2・5日弁連会長選情宣、国会行動、単位弁護士会主催の共謀罪集会など、いまも反対の声は広がっている。力をあわせ、悪法を廃案に追い込もう。  通常国会の予算案審議終了後の4月から刑訴法等改悪案審議が始まるとされるが、廃案に追い込むには、それを待つわけにはいかない。院内・外を貫く闘い、参院選(廃案)まで実質一カ月半の攻防をいかに闘うかが問われている。『産経』1月21日号が同法案について・暗雲漂う─国会日程余裕なく…関係者落胆・と報じたが、一方で強行採決も噂されている。法務省らに悪夢を見させてやろう。気を引き締め、大衆運動の力で参院採決阻止─廃案へ! 反対の声を大きく広げよう。  戦前日本では、関東軍による張作霖爆殺事件を・満州某重大事件・とのみ報じ(真相は東京裁判まで隠され)、その3年後の関東軍将校らの謀略による・満州事変・勃発時には、NHKが史上初めて臨時ニュースを流して排外熱を煽りたてるまでに至っていた。爆殺事件直前の28年大弾圧(全国で約1600人一斉逮捕)と治安維持法改悪で反天皇・反戦勢力がほぼ壊滅させられた歴史を再び歩むわけにはいかない。 国家緊急権反対・改憲阻止の共同反撃へ!  新たな危機の中で進む世界的な・対テロ戦争・と安倍政権の暴走に抗して、戦争・治安エスカレート─明文改憲策動と対決する奔流を創りだすことが、のっぴきならない形で問われている。私たちは、今春の攻防を・共謀罪も盗聴法も秘密法もいらない・・国家緊急権反対・改憲阻止・・対テロ戦争反対・を掲げて全力で闘い抜くとともに、研究者・弁護士・各領域の活動家などが集まって交流・討論する「戦争と治安管理に反対するシンポジウム」を開き、濁流に抗して闘う態勢を創りだす。戦線を超えて共闘し、共に反撃しよう。時代の転換点を共に闘い抜こう。 戦争と治安管理に反対するシンポジウムィ「対テロ戦争とは何か? 今こそ断ち切ろう!戦争と弾圧・排除の道」3月13日(日)13時開場・13時30分~19時南部労政会館、 分科会(13時半~一六時) ・戦争・治安・改憲安倍暴走の行方  提起者:石川裕一郎さん(憲法学者)+現場から ・共謀罪・盗聴法・秘密法戦争・治安は一体 提起者:春日勉さん(刑訴法法学者)+山口正紀さん(ジャーナリスト) ・国家主義差別・排外を撃つ 提起者:安田浩一さん(ジャーナリスト、予定)+現場から 全体集会 16時半~19時 パネル・ディスカッション 提起者:清水雅彦さん(憲法学者) コーディネイター 足立昌勝さん(刑法学者) 連帯挨拶・リレートーク等 ・資料代 前売券500円・当日600円 *3月22日(火)「冤罪をふやし、盗聴・密告をはびこらせる刑訴法等改悪法案を廃案に!市民集会」(盗聴・密告・冤罪NO!実行委員会主催、18時~南部労政会館、500円)にご参加ください。共同行動の予定はhttp://hanchian.3zoku.comに流します。 (石橋 新一/破防法・組対法に反対する共同行動)

2016-03-11 PM-17:43

救援連絡センター財政強化のお願い

常日頃からの救援連絡センターの活動に対するご理解と協力にあらためて感謝します。
救援連絡センターが設立された1969年3月から、47年目の新年2016年が始まりました。
救援連絡センターは、1970年代、安保・沖縄・学園諸闘争への警察権力による弾圧に対する反弾圧救援運動の昂揚の中から生み出されてきた大衆的反弾圧団体です。「2015年安保」とも呼称されている、安倍自民党・公明党内閣による「集団的自衛権」行使容認といった戦争法案の強行は、昨年8~9月国会前での圧倒的な人々の怒りの爆発を呼び起こし、国会前と周辺、永田町一帯は、かつての60年安保、70年安保闘争を想起させるような事態になっています。
昨年秋、安倍自公内閣は、10月内閣改造を行ないながら、臨時国会も開けない事態に追い込まれました。一昨年、秘密保護法制を強行し、昨年の国会では盗聴対象拡大、司法取引捜査の合法化、といった刑事訴訟法等の改正案が参議院に「継続」になったまま、今年1月4日開会された第190通常国会に引き継がれています。他方で、沖縄・辺野古新米軍基地の建設を、沖縄県民の意思を無視して強行し、全国各地の原発再稼働を強行しようとしています。
かつてに比べれば、逮捕者の数こそ圧倒的に少なくなったとはいえ、こうした戦争と弾圧の激化の中で、03-3591-1301(ゴクイリイミオーイ)の役割は、増々重要になっています。
昨年一年間、救援連絡センターの財政は、極めて逼迫し、事務局員の活動費の遅配、欠配も続いています。あらためて、皆さんに以下の財政強化方針に協力いただくようお願いをする次第です。

第一 2016年、今年もあらためて、各地域、職場、単位からの一般カンパをお願いします。

第二 協力会員、『救援』定期購読者の拡大に協力をお願いします。
協力会費 (一口・毎月1000円×12=年間12000円、購読料も含みます。)
購読料  (一部300円・年間12号分で第三種開封郵送料こみで4500円、密封5000円)

第三 「強化基金」への協力をお願いします。
強化基金(毎月3000円×30口=9万円 目標)
事務局員4人目の「活動費」の確保と不足分の補充を目的にしています。

2016年 1月   救援連絡センター運営委員会
代表      足立 昌勝
代表弁護士  葉山 岳夫
事務局長   山中 幸男
運営委員   長谷川英憲
同        三角  忠

2016-01-12 PM-18:00

「パリ地域6カ所同時襲撃事件」―今、問われるべきこととは何か?    鵜飼 哲(一橋大学教員)

11月23日、フランスの首都パリとその郊外で計六カ所が同時に襲撃され、死者は130名、負傷者は350名を超えた。21世紀に入ってからヨーロッパで起きた同種の出来事としては、2004年3月11日、スペインの首都マドリード駅頭の爆発で191名が亡くなって以来の規模の大量殺人となった。同じ時期にはイギリスの首都ロンドンでも、2005 年7月7日、ほぼ同時に四カ所で爆発が起き、56名の死者が出ている。ここで想起しなければならないことは、この時期スペインとイギリスが、アメリカとともに、イラク戦争に参加していたことである。
今回なぜフランスが狙われたのかという問いに対して、今の段階で十分な回答を示すことは難しい。この同時襲撃の実行主体として声明を発した「イスラーム国」の登場は、現在のイラク、シリア、ひいては中東全域の地政学的条件の錯綜のため、その経緯を正確に把握することは容易ではない。また今回の声明に、実行の計画主体でなければ知り得ない情報は何も含まれていない。1月のシャルリ・エブド社襲撃事件ですでに激しく動揺しているフランス社会に、さらなる打撃を加えることで、ある方向にこの国を動かすこと、それがどの国、どのような勢力の利益になるのかはかならずしも自明ではない。ひとつだけ明らかなことは、今回の事件が、現在のフランスが、2004、5年のスペイン、イギリスと同じく、中東・アフリカのいくつもの地域で軍事作戦を展開していることと、無関係ではありえないということである。
筆者は今年の3月末までパリ10区に住んでいた。今回襲撃を受けたカフェ「カリヨン」、レストラン「プティ・カンボッジ」は、当時の住まいから徒歩10分の距離にある。共和国広場から東に向かうサン=マルタン運河沿いのこの地区は、夏は河岸が人で埋まる人気のスポットであり、「ボボ」と呼ばれる新興若年富裕層や観光客で賑わうエリアの北限であるとともに、多様な民族的出自の人々の混住が市内でもっとも進んだ諸地区にも隣接している。トルコ人、クルド人が多く住むサン=ドニ地区、アフリカ人のコミュニティが定着したシャトー・ドー地区、ロンドンとの交通の便のためにインド人、スリランカ人中心の町となった北駅および東駅の周辺、アラブ系、ユダヤ系の人々が長く共存し、ヴェトナム人、中国人の人口も増加してきたベルヴィル地区からも遠くない。もっとも多くの人が殺されたコンサート会場バタクランは、ポピュラー音楽が戒律にもとるものとして「断罪」されたのだろう。フランスとドイツのサッカー親善試合が行われていたサン=ドニ市のスタード・ド・フランスは、観戦中の共和国大統領が象徴的標的だったと思われる。それに対し10区、11区では、部分的に実現されつつある多民族共生社会が攻撃されたのではないだろうか。
1月のシャルリ・エブド襲撃事件には前史があった。同紙によるイスラームの預言者の風刺画の掲載は、フランスのムスリムを代表する機関であるパリ大モスクからの告訴を受け、裁判の結果、2007年3月、風刺新聞社側が無罪となる司法判断が下されていた。編集委員等の殺害の実行者たちが、モスク側の敗訴というこの結果を受けて、「預言者の復讐」を誓ったことは想像に難くない。その意味でこの襲撃は、政治的である以前に、宗教的、社会的、文化的な事件だったと言えるだろう。それに対し今回のパリ地域六カ所同時襲撃事件は、その規模と無差別性において、ある企図のもとに周到に計画、遂行された作戦行動であり、組織的、政治的性格が強く感じられる。
フランスは戦争中の国である。1月の事件以前から鉄道の主要駅では、迷彩服の兵士たちが二人一組で、つねに機関銃を手に巡視活動を行っていた。兵士たちの存在は通行人に、自分たちが守られているという安心感以上に、いつ何が起きてもおかしくないという不安を感じさせていた。欧州議会選で極右政党・国民戦線が躍進した2014年のフランスには、災厄の予感が、日常の生活感覚のなかに、すでに耐え難いほど広がっていたのである。
2011年3月、フランスは国連決議1973を根拠に、イタリア、イギリス、アメリカとともにリビアに介入し、指導者カダフィの殺害に至る政権転覆を強行した。注意すべきは、この軍事作戦が、米、英以上に仏、伊によって主導されたことである。2012年5月、社会党の候補フランソワ・オランドが大統領に当選、内政、外交ともに、サルコジ時代の悪政が、多少なりとも是正されることが期待された。しかしこの期待は残酷に裏切られ、就任後1年の間にオランドの人気が回復したのは、2013年1月、マリの内戦に介入したときだけだった。この時オランドは「テロリストを破壊する」という戦争目的を広言し、フランスはこうして、アフガニスタンとイラクの失敗以降、米英がもはや使わなくなった「対テロリズム戦争」のレトリックに、いわば一周遅れで訴えるようになったのである。
無為に終止したエロー内閣の後を継いだヴァルス内閣は、就任早々ネオリベラリズム路線を鮮明にし、ブルターニュのノートル・ダム・デ・ランド空港建設反対運動など、エコロジー系の地域闘争にとりわけ激しい敵意を向けた。今回の事件後の緊急令によって、空港反対闘争の中心的な活動家3名が居住地指定処分を受け、COP21開催に対する抗議行動に参加するためパリに移動する自由を奪われた。現在のフランスで「テロリスト」という言葉が使われるとき、イスラーム主義的な「聖戦」派だけが狙われているのではない。このタイプの予防弾圧は、今後いっそう深刻になることが予測される。
シリア以前にフランスは、リビア、マリ、中央アフリカと、アフリカでの軍事活動にのめり込んでいた。そして昨年9月、フランス人登山家がアルジェリアのオレス山中で「イスラーム国」を名乗る集団に殺害された後、イラクにおける対「イスラーム国」空爆作戦への参加を決定したのである。しかし、シリアの旧宗主国フランスは、この間一貫してアサド政権の退陣を要求してきたため、シリアの「イスラーム国」支配地域への空爆には及び腰だった。それが今年九月、二万人のシリア人難民受け入れ方針の公表と同時に、難民の「発生源」を叩くという口実で、シリア空爆に踏み切ったのである。この決定について、政府内に意見の不一致があることを見透かされ、今回の事件を招いた可能性は否定できない。
2003年のイラク戦争開戦前夜、フランスが国連を舞台に精力的に展開した戦争反対の意志表示を思い出すなら、10年あまり後にこの国が、なぜここまで来てしまったのか、いくつもの疑問が浮かび上がる。国内では公教育におけるヴェール着用禁止法の制定(2004年)、郊外における若者の叛乱に対する弾圧(2005年)とムスリム系市民への抑圧政策が強化され、中東政策ではサルコジ政権下で親イスラエル路線への転換がなされ(2007年)、2009年、フランスは43年ぶりに北大西洋条約機構(NATO)に復帰する。ただでさえ日常的な差別にさらされ、平均の3倍を超える失業に苦悩するアラブ、アフリカ系の移民やその2世、3世が、いっそう疎外感を深めざるをえない方向に、この国ははっきり舵を切ったのである。2010年代の軍事介入路線は、以上のような内外の一連の政策転換の延長上に出てきたものである。今回の大規模殺戮にどんな政治的目的があったにせよ、フランスの国家および社会の急激な変化がはらむ社会的かつ地政学的な矛盾が、意図的に、鋭く衝かれたことは間違いないだろう。
日本の民衆運動にとって重要な点は、フランスのNATO復帰が、安倍内閣の日本とフランスの、急速な接近の前提となっていることである。従来国連の常任理事国は日本に対し、米英が支持、中ロが反対という構図のなかで、フランスはキャスティングボートを握っていた。フランスのNATO復帰によってこのバランスは崩れ、核兵器保有国にして原発大国のフランスと日本の外交関係は福島原発事故を契機に急速に変質し、いまや国際政治上の重要なパートナーシップを形成しつつある。
日本を訪問したヴァルスは10月3日、安倍に対し、来たるべき国連改革において日本の常任理事国入りを支持すると明言した。旧植民地帝国同士のこの友好関係の深化には、マリ介入の際フランスから自衛隊の派遣要請があったことからも明らかなように、すでに軍事的次元が含まれている。現在のグローバルな帝国主義的軍事再編のなかでは、集団的自衛権の問題を日米関係に限定して捉えるだけでは決定的に不十分である。米国の戦争政策に追随するばかりでなく、独自の帝国主義的利害にもとづいて、国連政治上の実績を積み上げるために自衛隊を戦地に派遣することが、安倍内閣の政治日程には、すでに組み込まれていると考えるべきだろう。
3ヶ月に延長された緊急令に対し、フランスの民衆運動は、「難民歓迎デモ」(11月22日)、「COP21に対抗する人間の鎖」(11月29日)を敢行し、多くの逮捕者を出しながら、力強い抵抗を開始している。私たちもまた、米英仏のシリア空爆に反対し、日本の加担を許さない国際主義の闘いを、緊急に組織する作業に取りかからなければならない。

2015-12-13 PM-17:19

☆「国会突入」を考えるーー「「跳躍」の運動史」序説 松平耕一

 雨の日がずいぶん多かった気がする。初夏から初秋にかけて、安全保障関連法制定に反対する国会前行動に足繁く参加した。傘を持たない日の夜に、パラパラと降り出す俄雨に閉口した。また、ザアザアの雨の日は、どうせ人も少ないだろうと行動に出向くのが億劫になった。常連の参加者たちは、レインコートの完全装備でデモに行く。今回の一連の行動では、自分も、十代のころ使っていた、埃の被ったポンチョをロフトの奥から引きずりだした。つばのせり出た黒いキャップを被り、ポンチョを重ねた。人が少ない道では傘をさし、混雑した行動の最中ではその折り畳み傘を鞄にしまう。iPhoneとビデオカメラとハンドマイクを濡れないよう、持ち替えやすいように装備する。それにしても、今年の安倍政権は雨に救われたのじゃないかと思ったりした。
 参院本会議でいよいよ強行採決がなされるという、九月一八日の金曜日も雨だった。その夜、翌朝まで抗議するぞという声も聞いたが、私は二二時くらいには国会前を引き上げ、友達と市ヶ谷で飲み屋に入った。自然に六〇年安保の話になる。「六〇年安保の強行採決の日も、雨が降りしきる中での切ない抗議だったらしいよ」と。ビールを何杯か重ねたところで、なんとなく、自分一人だけでも、国会に戻ろうかという気分になった。意外に、裏門とかからなら、国会へと突入できるのではなかろうか? そのまま正門へと突き抜けて帰ってきてしまえばいい。私は、国会内部へと私を招く声が聞こえている気がした。九月一六日に、一三人の逮捕者が出ていたことと関係があるかもしれない。
 門扉というのは一つの境を形成する。門の内部と外部には、別のルールが流れる。門の内外で、別の法に支配されてあるのは不思議なことだ。もしも知らない人が、いきなり扉を開けて私の部屋に上がってきたら、私は仰天するし、怒りにかられるだろう。施設管理権というものが、一般の私有地では働き、外部からの侵入者を、この法をもって排除する。
 しかし、国会の内部とは一体何なのか? 私はそこから排除されていて、一方的な観客にならざるをえない。公的な空間にて、私個人の、生活と人生を左右する議論がルールを守らずに、理不尽で非論理的な方便にてなされているのなら、ちょっと怒鳴り込みに上がりたくなるのも人情であろう。
 私は国会突入をテーマに毎回の国会前行動に参加した。警察の規制線をいかに後退させていくかが私にとっての関心事である。人が多いときに、荒れている場を探す。警察と揉めている人がいる空間では「警察帰れ」「道を開けろ!」「警察おかしいだろ!」「青信号なのに何で歩行者を歩かせないんだ!」「過剰警備反対!」と叫びまくる。参加者が一緒になってコールをしてくれる、手応えのあるときも多かった。
 多くの逮捕者が出た大規模弾圧の起こった、九月一六日は鮮明な印象に残っている。九月第三週は連日、マスコミが押し寄せその人垣が凄かった。三一一以降に始まった脱原発運動が、当初はまったく新聞でもテレビでも報道されなかったことを思えば、隔世の感がある。撮影のためのライトが立ち並び煌々としていた。
 無機質な白い光に照らし出されて、浮かび上がる、警察に激しく押される人々の群れ。蠢き、叫び声。規制線をさげないように守勢にまわっていた権力が、不意に一転して攻勢に出て、私とスクラムを組んでいた一人の人が消えた。あるべきものがなくなった感触が私の身体に残り、私は総毛立った。内部と外部を隔てる頑強な檻が私を飲み込もうとしているのを感じ、怖くなり私はその場を逃げ出した。「仲間を返せ」という叫び声が繰り返された…。一六日の大規模弾圧である。
 一三人の逮捕者というのは、国会前行動では近年では初めての出来事だろう。同種のものとしては、二〇一一年九月一一日の新宿での「原発やめろデモ!」の一二人逮捕事件が思い起こされる。逮捕者が特定セクトの人間に偏ったわけではないという点で、二つの事件には類似性がある。この種の大規模弾圧の起こる状況には条件がありそうだ。一つは、民衆の広範な怒りが激しくたまっていること。もう一つは、警察側が、完全に、何人でも逮捕するつもりで当日の警備にのぞんでその場に出向いてきているということだ。
 関東圏の運動での、三一一以降の大規模弾圧の歴史といったものを考えてみたい。二〇一一年の東京での街頭行動を代表するであろう「原発やめろデモ!」は、六月一一日の新宿デモが成功のモデルケースとしてあった。デモ終了地点である新宿東口駅前広場を占拠状態にし、大変大がかりなお祭り騒ぎをもたらした。これを繰り返そうとしたのが同年九月一一日の「原発やめろデモ!」であったが、絶対に繰り返させまいとした警察側に激しく弾圧されることになった。このデモは、私自身も少し準備を手伝っていたが、警察側とのデモコースについての折衝が難航し、権力が相当な強硬姿勢で警戒にあたっている不穏な感触があった。また、参加者側が、警察側に対して苛々ピリピリしている雰囲気も感じられた。参加者たちのおさまりきらない怒りと、警察の強硬な姿勢から、些細な事実を理由とした激烈な大規模弾圧が生じた。
 同様の状況は、ちょうど四年と少しを経過した、本年の九月第三週の安保法案反対行動においても起こっていたと思う。まず前段として、九月一四日の月曜の行動で、四万五千人と言われる参加者が集まることで、国会前道路の完全解放がなされた。警察車両は運転の途中で、徒歩の参加者たちに遮られて動きを止められたりもしていて、あちこちで車両の上に攀じ登られている始末だった。権力側は警備体制を見直ししたらしく、翌一五日からは断固とした姿勢で警備にあたるようになる。人々が集まり始めるより、ずっと早い時間から警察車両をぎりぎりまで敷き詰め警備をガチガチに固めた。九月一六日は、一四日と同様の規制線の突破を行おうとした参加者たちが、強硬な姿勢の警察に、全面的に弾圧されることになった。
 よく言われることであるが、ラディカルな行動というものは、不意打ちの形でなら成功しやすい。たとえば、九月一六日の新横浜で行われた地方公聴会では、数百人が路上に飛び出し車を遮り横たわるシットイン抗議が行なわれた。暴動状態だったとも言われる行動だったにもかかわらず、逮捕者が出ていない。弾圧にあたったのが神奈川県警だったからということもあるだろうが、権力側は、前例がなく事前に予測できない行動では、逮捕を行ないづらいとも言える。
 路上の解放ということで言うと、二〇一二年、大飯原発再稼働を二日後に控えた六月二九日の官邸前車道の完全決壊が成功のモデルとしてあった。そのことを念頭に置いた上で、一五年の安保法案反対行動では、かなり早い段階から、八月三〇日にたくさんの人を集めて、国会前車道で決壊を起こすことが目標とされていた。六月の段階で、毎週金曜の行動にて、六〇年安保闘争を目標とした数字で、「三〇万分の一になれ」「友達を連れてきて下さい」と繰り返しアナウンスされていた。その成果として三〇日には「戦争させない・9条壊すな!総がかり行動実行委員会」の発表によれば一二万人が集まり、国会前車道の解放が実現した。この三〇日を過ぎると、主催には少し気が抜けたような雰囲気も見受けられた。安保法案の成立がいよいよ迫った九月一四日は、関係者間でも事前に予測がつかない、平日月曜夜での、不意の車道完全解放が起こった。四万五千人でこれをやってしまったのもすごいことだ。
 今回の行動を振り返るにあたって、首都圏反原発連合について考えてみたい。二〇一二年に官邸前車道を決壊させた立役者である反原連が、「原発やめろデモ」への大規模弾圧の反省のもとに作られた組織であるということはしばしば言及されている。同団体の方針として、夜に騒音を出すことで迷惑になるということでの、二〇時での完全解散や、「官邸突入」を主張するものを弾圧するといった特徴があげられた。運動体内外で揉め事があると適宜警察に通報する。警察と連携を取り合い、「跳ねるやつを潰せ」の原理を持つ。無軌道な大衆の怒りをコントロールし、運動体としての規律を作り出すべく、スターリニズム的な課題を意識することで活動がスタートしている。行動の終了後、ゴミ一つ残さず掃除して帰るという、ファシズム的とも見える感性が誇られることもある。
 反原連については、小熊英二編著『原発を止める人々ー3・11から官邸前まで』(二〇一三年、文藝春秋)が詳しい。本書は二〇一一年から一三年にかけて、脱原発の行動に参加していた五〇人の人々の証言を蒐集していて大変な労作である。現代のデモの特徴を知る上で貴重な資料だ。小熊は反原連の統制的な側面を評価しつつ、「「3・11」以降の脱原発運動は、世界でも類例のない形態を実現させた。それは個々の当事者には見えていなかったかもしれない、多様な動きの連動の結果であり、大きな民意の表現だった。人々はいまだ、その奇跡を奇跡として自覚するほど、みずからの達成に慣れていない。そのことがはらむ可能性の深さに、彼らはまだ気づいていないのである」と手放しに絶賛している。
 本稿を書いている直近での、二〇一五年一一月六日金曜の反原連による官邸前行動は、すでに一七一回目にもなり、約千百人が集まったという。何年にもわたって毎週集まり続ける被災者の方たちの、切羽詰まった、しかしそれでも自身を律し、声を上げ続けることに集中する、狂おしい気持ちには頭が下がる。回数でも規模でも並大抵でない金曜官邸前行動は、もしかしたら、私たちにとって一生の課題になるかもしれず、私が死んだあとでも続き、参加者も増えていくかもしれない。
 しかしどうにも、国会前で数時間、アジ演説を聞き同じコールを繰り返し行ない、これを週毎に繰り返すというのが、個人的には苦役であり参加し難い。小熊の肯定する運動論は、ほとんど「労働としての運動」に見える。祝祭なき、蜂起なき、革命なき、ストイックな忍耐の運動で、「カフェイン抜きのコーヒー」のごときだ。もちろん、反原連のような努力と忍耐の街頭行動者からすれば、不意に入ってきた余所者の「跳ねる奴ら」に場を荒らされるのでは、たまったものではなかろう。しかし「統制」と「跳躍」という軸について考えたとき、小熊の運動史は「「統制」の運動史」といったものだが、私は別に、「「跳躍」の運動史」を提示しておきたいと思う。
 二〇一二年夏の官邸前行動ということで言えば、興味深かったこととして、「ざらすとろ首相官邸前直訴事件」があった。大飯原発がいよいよ再稼働するという当日、とある男性が首相官邸前を訪問した。野田首相に会いに来たので通して欲しい、取り次いで欲しいと、彼を遮る警官に対し、歩道で座り込み交渉を続けた。福島第一原子力発電所四号機は現在極めて危険な状況にあり、その上大飯原発も再稼働してしまうし、野田首相に会えないなら、みんなは死んでしまうしかないかもしれないし、それなら…とアピールし、ナイフを取り出した。そしてその場で、大勢の警察に取り巻かれて、銃刀法違反の容疑で逮捕された。ざらすとろは、彼を通すまいとする警察に対し、「あなたたちはカフカの小説に出てくる門番のようだね」と説得を繰り返していたことが、私には印象深かった。
 もっとも、首相に会わせろ、国会に入れさせろという主張は、礼儀正しく頼めば可能なものなのかもしれない。実際、反原連は、二〇一二年八月二二日に野田首相との面会を行ない、主張の申し入れをしている。また、SEALDsの奥田愛基は九月一五日に参議院特別委員会公聴会に参加し意見を述べている。それらが画期的だとする意見も分からなくはない。だが結果としては、それぞれ、反原発派の意見を聞き入れられたふりをされ、安保法案反対の運動を黙らせられ、代議制民主主義の度量の深さと見せつけられただけではなかろうか。門扉の中に招かれたとしても、「まあまあ」と宥められるためだけの茶番に終わるのなら、やはり恨みつらみが残るであろう。
 私たちは、怒りを抱えて首相官邸の前へ、国会の前へと押し寄せる。そして、門にたたずむ警察に追い返される。もしもそれでも中へ入ろうとしたとき、結果、その門扉が、留置所への、刑務所への門扉と繋がっていることを知るかもしれない。だが、緊張で張り詰め言葉をなくし、怒りを抱えて門扉へと飛び込もうとする跳躍の衝動に、私は「自由」を求める決断を見る。マスコミに取り上げられない、国会にて代表されえない、意識においては忌避されるが、無意識においては望まれるかもしれない衝動に、むしろ「一般意志」と呼びうるものを私は感じる。
 ラディカルへと走る大衆の行動と、自制させ統制しようとする力と、二つの力のせめぎ合いを、三一一以降の運動の中に、私たちは認めることができる。翻って考えてみるに、人間の各個人は、衝動と抑制の二つの相反する要素を相互にあわせもつ。元来、衝動だけの人間も抑制だけの人間もいない。私たちは暴れ出そうとする右手と、それを止めようとする左手を持つ、衝動と抑制の二重体なのである。怒りとともに無意識に「邪王炎殺黒龍波」とかいった名称の必殺技をはなってしまうかもしれない右手があり、同時に、それに手錠をかけておく左手がある。私たちを抑制し日常生活の中に閉じ込めてあるのは、私たち自身だ。
 そしてさらに、個人においてのみならず、組織においても、衝動と抑制の二面性が存在する。つまり、運動史というものを、衝動と抑制、二つの駆け引きのダイナミズムとして綴ることができる。私は本稿において、三一一以降の国会前行動の「跳躍の運動史」を素描し、歴史を概括しつつ、その運動の獲得目標を提案したいのだ。
 二〇一一年以降の関東圏の運動史は衝動と抑制の間で、弁証法的発展を遂げてきている。三一一のあった二〇一一年は、「原発やめろデモ」における「見る前に飛べ」の如きラディカリズムの発露があった。二〇一二年は揺り戻しとして、反原連におけるスターリニズム的な抑制の運動があったが、これも一過的なものだ。逆説的な話だが、国家による弾圧の激しさは、民衆のラディカリズムの度合いを測る鏡ともなる。
 二〇一三年に高潮に達した反ヘイトスピーチ運動では、九月八日にはレイシズムデモに抵抗して新大久保路上でのシットインが行なわれた。シットインはその後もあちこちで繰り返し試みられた。カウンター界隈では、いろいろな手法でぎりぎりのところまで踏み込みレイシズムと対決し、逮捕事件が繰り返し起こっている。また、二〇一三年一二月には秘密保護法強行採決反対行動にて、国会傍聴者の「靴投げ」弾圧事件があった。二〇一四年では、集団的自衛権反対行動の中で、新宿での焼身自殺未遂事件と、日比谷公園での焼身自殺事件が起こった。二〇一五年では、米軍の辺野古基地移設反対を訴えた国会包囲行動が、一月、五月、九月と行われたが、それぞれ八千人、一万二千人、二万二千人と、回を増すごとに参加者が増えた。これらの諸行動には、「抑制」の枠に収まりきらない、大衆のラディカリズムが顕示されていて、フツフツと湧き上がる人々の怒りが見てとれる。二〇一三年、一四年の「衝動」の経験は、二〇一五年八月、九月の安保法案反対行動のラディカリズムへと流れ込んでいる。
 二〇一三年の秘密法反対行動については、一つ附言しておきたい。安倍政権が参議院において秘密保護法案を強行採決したことに際して抗議し、国会内で靴を投げたAさんは起訴をされて、未だに控訴審中だ。秘密法を成立させた審議過程に問題があることを訴え全面的に争っていて、とりわけ国会「突入」性の深い事件である。マスコミによるAさんの扱い方にも大きな問題があり、彼のやったことの意味の重さが慮られる。
 さらにもう一点言うと、Aさん逮捕の日、一二月六日の国会前行動では、二名の逮捕者が出ていた。この日は国会周辺で三万人の参加があり、正門直前にて逮捕者が一名出たのだが、主催はそのことをアナウンスせず誰も騒がなかった。私は現場を見ていたので、その場で「仲間を返せ」とコールしたのだが、乗ってくる人もいない。「特定秘密保護法反対」のコールを無機質に繰り返す、反弾圧意識のない参加者たちと、逮捕事件を知りながらも情報の共有化を行なわない主催の無感覚さはどうかと思った。行動の中で逮捕者が出てもダンマリを決め込むのは、危険だし不審でもある。逮捕者が出たことについて一切言及せず、救援を終えるというのは、この時だけに留まらず、関東圏の行動で繰り返されている。
 以上のことを踏まえてみるに、本年二〇一五年の安保法案反対国会前行動は、以下の点において評価すべきことがあったと思う。第一に救援を巡る対応について。九月一六日の大規模弾圧について、二四日に、主催の総がかり行動が不当逮捕事件を批判するむねの声明を公式に出した。行動の中で、内田雅敏弁護士がスピーチにて声明を読み上げた。反原連周りではまったく行われていなかったことであり、画期的である。また、逮捕者の解放時に主催は、仲間が返ってきましたという旨のツイートをしてもいる。二〇一一年の大規模弾圧に比べれば、救援がスムーズに行われもした。これらは大いに肯定すべきことだと思う。
 評価すべきことの第二のこととして、まとめてあげると、反原連による行動が、二〇時で終わるのに対し、反安保の国会前行動は二二時まで行なわれていたこと。また、前述の通り、「警察帰れ」といったアジテーションが、以前よりは受け入れられやすくなったこと。さらに、鉄柵撤去行動が常態化し普通のことになり、国会前車道の全車線解放を二回も成し遂げたこと。
 第三に、逮捕者への激励行動の参加者の広がりについても言及したい。九一六弾圧逮捕者への、中央署・品川署での激励行動は、彼らを心配する一〇〇名近くの人々が集まった。付け加えて振り返ってみると、九一六弾圧の先駆として、五月二八日に、戦争法案反対国会前集会の参加者三人が、経産省前にて逮捕されるという事件があった。この五二八経産省前弾圧でも、五月二九日の激励行動で、二〇〇名もの人が集まっている。救援の態勢ができていて、周知が即座に拡散できる情報網が整っていて、かつ行動への支持が相当にあるということでなければ、これだけの人を集めるのは難しい。今までの経過から見れば破格な出来事だ。
 今夏の安保法案反対行動の画期的な点を挙げてきた。もちろん、私はすべての衝動を無限定に肯定するわけではない。打算的な話であるが、「跳躍の行動」を試みるなら、救援の態勢のある条件で、世論の支持が集まりうる情勢で、行なった方がいいと思っている。
 個人的には、二〇〇一年に法政大学にて松本哉らが引き起こした「ボアソナードタワー事件」が、とにかくトラウマであった。当時、建設されたばかりだったボアソナードタワーにて、法政の清成忠男総長(当時)と奥島孝康総長(同上)が、大会社の社長を招きシンポジウムを開くという。これに対し、松本ら多数の黒ヘル集団が、シンポの会場に突入して、消化器を振りまきペイントボールを投げ「襲撃」した。結果、彼らのうちの計五人が起訴されている。
 当時の世情を振り返ると、九月一一日にアメリカ同時多発テロ事件があった。その一〇日後の九月二一日に、法政大学では、産学協同路線へと邁進し、大学の就職予備校化を、ネオリベ化を推進しようというセレモニーが行われようとしていた。これを破壊すべく突入を試みるのは、一つのロジックとして正しいとは思う。しかし、世論の支持が得られず、救援の態勢も整わない場での衝動的な行動は、どうにも悲惨な展開をもたらす。ボアソ事件の結果、関東圏のこの世代の黒ヘルは壊滅したとよく言われる。
 同じテリトリーである法政大学学生会館に所属していた私は、この事件に直面して、松本らの側ではなく、「統制」の側につく決断をした。このとき、私は、自分の手で、自分自身に手錠をかけてあることを意識した。以来十年間、私にとって衝動的な跳躍というものは、屈託の対象であった。そのこともあり、私は、半分くらいは、反原連のような統制の効いた行動への支持者である。だが、二〇一一年の三一一を境に、私は、自分で自分にかけた手錠を外すべきだと感じた。私は宗旨替えを行ない、統制と衝動のうち、衝動の側に組することに決めた。
 二〇一一年九月の「原発やめろデモ!」の大規模弾圧では、救援の方針を巡って関係者間で混乱が生じていた。未だに、救援会に関わったものどうしの間での、悪罵のしあいがネットで生じていて、実は現在進行形の問題である。このトラブルは、一つには松本哉の大衆的なキャラクターに起因してもいたと私は思う。松本がかつて引き起こした二〇〇一年九二一のボアソ事件への弾圧に際してもそうだったが、「完黙非転向」が正しいという意識は松本にはなく、救援にあたっての動きに統一性がない。理論を突き詰めるということに興味がなく、雑というか、やる気がないスキゾ的なアナキストの松本は、党を形成するようなパラノ的なタイプではなく、現代的ではあるが、大規模弾圧があると周囲を巻き込み自壊してしまう。反原連は、松本との運動の経験から、警察と適当に関係を作りつつ、絶対に逮捕者を出さない方針を選んだ。
 しかし「跳躍の運動史」にあっては、逮捕事件に際して、完黙非転向と、救援会により不当逮捕弾劾の声明を出すことが重視される。警察に妥協をせず、獄中闘争を続けるのが正しいという見解に理解が得られるよう、努力を続けていきたいところである。
 ともかく、私たちは、二〇一一年の「原発やめろデモ!」で、「言うこと聞くよなやつらじゃないぞ」と歌った。二〇一二年には、大飯原発再稼働反対行動の中で、「ナメられているにもほどがある」と歌った。そして、今回の行動では「本当に止める」がスローガンだった。しかし、その実態はどうか。二〇一二年一二月の第四六回衆院選では自民党が二九四議席を獲得し圧勝、安倍第二次内閣が発足。二〇一四年一二月の衆院選でも、再び与党が議席数の三分の二を維持し、長期政権化が決まった。さらに、安保法案成立後の現在、一時落ち込んでいた内閣支持率は再び上昇してきている。結局「言うことを聞かせられ」「ナメられ」「本当には止められず」に過ごしてきているのが現状ではないのか。
 二〇一四年には台湾で、学生たちによる立法院の占拠があった。彼らが非暴力の行動で、この行動を成し遂げたことは見習うべきことだ。占拠の行動に連携した「全国ロックアウト労働者戦線」という団体は「三つの夢想」というトピックをアピールしていた。いわく、「第一の夢想、もしも国会がなくなれば」「第二の夢想、もしもサービス貿易協定がなくなれば」「第三の夢想、もしも国家がなくなれば」。国会を成立させているものは何なのか、国家を成立させているものは何なのか、今一度問い直す思想は、日本においても必要だ。
 また、拠点に押しかけようとした歴史的事件として、六〇年安保闘争や、戦後の皇居前広場での、血のメーデー事件も参照点とできる。非合法活動時代の共産党や、六〇年安保におけるブントを鏡としつつ、現代の三一一以降の国会前行動において、可能にして効果のある運動体はどんなであるかを検討したいが、またの機会の課題である。
 繰り返すが、今夏のような、世論の支持を集められ、救援の態勢が準備できる情勢では、九一六のような跳躍の行動があっても良かろう。欲を言えば八月三〇日はもっと踏み込んだ行動をする最大のチャンスだったと思う。この日は覚悟のある集団が早い段階で国会正門前横断歩道まで辿り着き、全力で鉄柵の撤去に取り掛かっていれれば、国会議事堂の門扉を開けたはずだ。
 六〇年安保闘争時、人々は、国会の四方の道路を解放し、ジグザグデモでぐるぐると周りながら、構内へと突入しやすい場所を探したという。私たちにおいても、国会正門直前交差点と、国会を取り巻く四方の道路の完全解放もまた目標となるだろう。今夏の状況ではおそらく、蜂起をするにはまだ人数が足りていない。国会正門前南岸のスピーチエリアのアピール力に頼り過ぎてもいた。本来、複数の中心部が必要で、同時多発的に様々な方向から国会へと決起しなければならない。
 もしも今後、原発による放射能被害がさらに広がり、米軍基地が増加し、日本がいよいよ戦争するといった事態が起こるとなったらどうするか。国会へと、首相官邸へと、また別の某場所へと、突入し占拠する思想が必要かもしれない。その思想実験は、日本の民主主義と立憲主義を考えるうえで、もう一つの、オルタナティブな観点をもたらすはずだ。適当な獲得目標を思いつきであげれば、三千人の逮捕者の救援を行えるだけの仲間の形成と、世論の醸成に取り組みたいものである。私たちが自らにかけた手錠を自ら解き放ち、揃って右手を天に突き出し蜂起したとき、門扉は開かれ、天は裂け地が割れ雷が落ち、この世の全ては勦滅し、そして、迷妄の古き神話が終わり、まったく新しい存在史の時代が、始まらないとも限らないであろう。
(『情況』2015年12月号に掲載予定)
2015-12-07 PM-14:09

戦争立法の強行採決糾弾!刑訴法等改悪案の通常国会制定を阻止したぞ!

戦争立法の強行成立糾弾!
9月19日、徹夜国会を機動隊の装甲車が取り囲み、反対の声を力で押し切って、戦争法が強行成立させられた。55年ぶりの日米安保―専守防衛政策の大転換であるにもかかわらず、ガイドライン改定―平和安全法制整備法・国際平和支援法などと仮装した欺瞞、〝法的安定性など関係ない〟とする反立憲主義・明文改憲への露骨極まりない姿勢は、徹底的に糾弾されるべき歴史的暴挙である。
しかし一方、安倍の暴走は、何十年ぶりの、しかも学生から老人まで全世代にわたる大衆的な反対の声と街頭行動の波を引き起こした。連日の闘いは政権中枢の狼狽をもたらし、政治が運動・力関係であることを大衆的に実感させた。元最高裁長官が違憲と断じるなど支配のイデオロギー的危機と亀裂が顕わになり、世論調査でも〝論議が尽くされていない〟が79%に上り、安倍政権の支持率は低下している。戦争国家化を阻止する闘いは続く。
安倍政権が狙う戦争国家化策動は、①集団安全保障・集団的自衛権・グレーゾーン強化などの戦争立法、②日本版NSC・防衛省設置法改悪・辺野古新基地建設・オスプレイ配備などの米軍・自衛隊再編や原発再稼働などの戦争遂行体制整備にとどまらず、③治安管理エスカレート、④思想的・社会的な動員・翼賛として、総合的に進められている。③は、日米新ガイドラインに初めて〝サイバー戦争〟が謳われたように、あるいは戦争法で〝国際治安支援〟が重視され対〝テロ〟戦争が謳われたように、戦争と治安が全世界的に融合していることにもっと警戒の目を向けるべきである。英2015反テロ法は地球上に異端者が棲息できない域に達している。日本でも伊勢志摩サミット戒厳、テロ指定・資産凍結法施行、東京五輪に向けた「世界一安全な日本」創造戦略が現在進行形である。通常国会でもマイナンバー法・個人情報保護法改悪や不正競争防止法改悪(産業機密保護法!)が強行され、国会周辺や辺野古で無法な弾圧が襲いかかった。④は、実戦に向かう自衛隊の充足率が70%にとどまる中で、高知中央高校が自衛隊コースを新設するなど自衛隊による若者のリクルートが活発になり、社会の全領域を軍事・治安管理のヴェールが覆いはじめている。安倍の暴走は安倍首相の極右的体質によるだけではない。
通常国会で刑事訴訟法等
  改悪案の成立を阻止!
マスコミが報じないため、通常国会での攻防を簡単に見てみる。3月13日閣議決定の刑訴法等改悪案は、5月26日衆院審議入り後、録音録画・司法取引・証拠開示・盗聴の徹底審議で法案の危険性が大きく暴露され、与党―民主・維新の修正協議は難航していた。8月初め時点で強行採決を乱発する以外に今国会成立の芽はなくなっていたが、それは戦争法審議の渦中では不可能であった。しかし8月4日夜に修正協議が突如合意され、事態は暗転する。5日衆院法務委で採決が強行され、マスコミが〝今国会成立へ〟と一斉に書きたてる局面に突入する。
しかし8月19日参院本会議で、民主党、維新はあたかも修正合意などなかったかのような〝賛成〟討論(修正が何の歯止めにもならないことは提案者自身が認めている)を行って慎重審議を求め、以降、法務委がまったく開かれない事態が続く。
こうした中で8月31日『時事通信』が、自民強硬派〝審議抜きの強行採決〟と公明〝継続審議〟の対立を報じ緊張が走るなかで、9月3日院内集会に民主党・共産党議員らが出席、民主党・小川議員が〝廃案へ〟と発言する。更に9月4日にマスコミが〝今国会成立見送り〟と報道する一方で、9月10日司法試験漏えい問題を審議する法務委で、与党が法案趣旨説明を強行し15日の審議を求めたが野党が拒否する、13日市民集会で維新・真山議員が法案反対を表明するなど、最終盤の攻防が展開された。以降、戦争法強行採決をめぐる攻防で法務委が開けず、26日継続審議となったのである。
流れを見れば明らかなように、通常国会攻防は、近来稀な逆転・再逆転の波乱に満ちた展開になっている。廃案こそ勝ち取れなったものの〝継続審議〟は運動の力で勝ち取ったものである。
到達点と課題
民主党政権の法制審諮問・日弁連を含む一括答申を受けた刑訴法等改悪阻止闘争は、極めて不利な力関係の中で出発せざるをえなかった。短期決戦の衆院攻防は、誰も想定しなかった長期戦となり、困難を超えて様々な運動上の成果を勝ち取られた。獲得した地平の意味を捉え返し、秋以降に向かう必要がある。
悪法阻止闘争は、従来の治安法反対闘争と異なって、①政府・法務省・与党による一括法案の拙速制定策動②日弁連執行部の政府への全面協力、民主党など与野党への働きかけ③多くのマスコミの沈黙④様々な市民団体の意思統一の困難と逡巡⑤運動圏の戦争法反対闘争への注力などの困難を抱えながら、執拗に闘い抜かれた。
①盗聴・密告・冤罪NO!実行委員会・新捜査手法反対連絡会議の奮闘
今春の闘いは、冤罪被害者とその支援の流れ+反治安法闘争を闘う流れ+弁護士会反対派の流れなどが〝危ういが画期的な共闘〟で、闘いを推し進めてきた。なかでも冤罪被害者が冤罪解消を名分とする法に反対する衝撃力は巨大であり、それは様々な政治的思惑を突き破った。冤罪被害者の闘いや法制審反対闘争を闘ってきた新捜査手法反対連絡会議などの闘いが、闘いを独自に進めながら、ジョイントして市民集会、闘う国会議員と合流した院内集会を重ねえた。カンパニアでなく、現場の闘いをそれぞれ進めながら共同して治安立法と闘い抜くことは、以降にとって大きな意味をもつ。
9月27日国会閉会以降も、臨時国会制定を阻止する闘いは続いている。9月15日に日弁連執行部が成立を見越して呼びかけた〝3%から100%へ〟可視化市民集会の欺瞞性を暴く弁護士会館前リレートーク、10月1~2日の日弁連人権擁護大会参加の市民・弁護士への訴え、冤罪被害者声明賛同の拡大などである。
②闘う弁護士・単位弁護士会、市民団体の反撃
日弁連執行部の屈服と締めつけを超えて、3・6京都弁護士会、3・13閣議決定時の一八単位弁護士会を皮切りに、52単位弁護士会のうち22単位弁護士会会長などが反対声明をあげた。異例の事態であり、この弁護士らの声を抑圧する3・18、5・22日弁連会長の早期成立希望声明は、文字通り〝恥知らず〟の一語に尽きる。また日本ペンクラブなどの盗聴法改悪反対声明など反対の声はようやく社会的に広がり始めている。
③翼賛国会への切り込み―闘う国会議員との連携
翼賛国会に切り込むことが容易でないことは、昨秋のテロリスト指定・資産凍結法攻防で明らかである。その意味では、法務省・日弁連らの早期成立工作をはねのけ、野党の良心的議員が反対の声を上げ続けているのは、以降の闘いにとって大きい。同時に、突然の修正合意は、翼賛国会内は伏魔殿であり、いつ何が起きるか分からないこと改めて知らせた。ロビー政治の時代は終わり、大衆運動の高揚、それに依拠した国会内・外の共闘にしか道はない。
手を緩めず、
廃案を勝ち取るぞ!
刑訴法等改悪案が、冤罪と盗聴を飛躍的に拡大し、戦後的刑事司法を破壊し、戦争国家に見合った検察・警察国家を創りだす画段階的な攻撃であることが顕わになってきている。しかも警察は、答申が〝今後の課題〟とした室内盗聴、あるいはDNA拡大、スパイ育成の制度化も進めている。〝新時代の刑事司法〟とは、非常事態型の臨戦国家に見合う刑事司法体系の構築であり、それは共謀罪・秘密法と一体になって〝現代版の治安維持法〟体制を創りだす。
法制審答申を受けて国会上程された刑訴法等改悪案が長期の通常国会で成立しないなどとは、誰も想定していなかったろう。しかし冤罪被害者や反治安法闘争を闘ってきた流れが合流した全力での闘いは、法務省・与党を追い詰めた。以降、推進派の巻き返し・激突が予測されるが、私たちは闘いとった時間を活かし、廃案に向け全力を挙げる。戦争と治安エスカレートを阻止するために、共に闘いましょう。
(石橋 新一/破防法・組対法に反対する共同行動)

2015-10-16 PM-14:52

9・15ー16国会前弾圧の救援を訴えます。

戦争法案反対の声が国会を取り巻き、9月14日から18日にかけて連日のように逮捕者が出て、その数は20名にも及びました。救援連絡センターで把握していない人もいますが、わかっている逮捕者は以下の通りです。
逮捕の事実経過
全員が公務執行妨害での逮捕ですが、センターに弁護人選任依頼(以下弁選と略す)が入っていない人については詳細は不明です。
9月14日 2名逮捕→すでに別の弁護人がついていて、16日に検事釈放
9月15日 3名逮捕→うち2名はセンター弁選で10日間勾留中。2名とも逮捕時に暴行されて負傷している。取調拒否、指紋採取と写真撮影も拒否。許せないことに赤坂署は赤坂3号を4日間も拷問と隔離のための「保護房」に収容した。強く抗議する。
他の1名はすでに別の弁護人がついていて、詳細は不明。
9月16日 13名逮捕→うちセンター弁選は7名、13名全員が分散留置で深夜に弁選が入る。センターと総がかり行動実の内田雅敏弁護士を中心に13名全員に弁護士接見。逮捕時に暴行されて負傷した人もいる。18日に7名が検事釈放され、19日に6名が10日間勾留決定。うち2名が取調拒否、指紋採取と写真撮影拒否、検察庁・裁判所への連行も拒否したため、車いすに乗せられて連行された。
9月17日 1名逮捕(80歳の男性)→すでに別の弁護士がついていて詳細は不明
9月18日 1名逮捕(60代女性、カッターナイフ所持)→センターの弁護士が接見したが、すでに別の弁護士がついていたので、その弁護士に任せることにした。
センターとしては弁選が入らなかった人についても問い合わせまたは弁護士に警察署に行ってもらっていますが、すでに弁護士がついている場合は、こちらもそれ以上の対応はしていません。
現在、センターは15日の2名と16日の6名。計8名の救援を担当しています。
逮捕者それぞれの所属するグループで救援会を組織し、情報交換と集約のために随時全体の会議を開いて、協力しながらやっていくことになりました。
9月25日には勾留理由開示公判を予定していますが、裁判所が連休中のため、打ち合わせができていません。24日に最終的には決まります。
不当逮捕された仲間を一日も早く取り戻そう
この間、戦争法に反対する国会前の闘いは連日連夜、取り組まれ、全国から数万人の人々が集まり、安倍政権への怒りの声をたたきつけました。国会に近寄らせないための警備は高圧的で鉄柵と機動隊のバスで国会前に近づけないように弾圧態勢を強化し、戦争法案阻止の闘いを力づくで押さえ込もうとしていたのです。その警備の暴力に抗して、多くの人々が怒りの声をあげ、その中で上記のような逮捕者がでたのですが、逮捕時に被害者とされた機動隊委員が勾留請求時には別の警察官になっているなど公務執行妨害の罪名はでたらめで、でっち上げです。逮捕はねらい打ちであり、警察の暴力で転ばされて逮捕された人も大勢います。この事実を明らかにしていきましょう。
逮捕されたのは「過激派」であるとか、逮捕された側が悪いとして、今回の弾圧に対して冷ややかで、むしろ警察と一体になって批判している勢力がいますが、彼らの主張はまちがっています。
あの状況では誰もが逮捕される可能性はあったのです。逮捕された仲間を取り戻すために全力をあげて闘うのは、戦争法に反対する闘いと一体の闘いです。弾圧する国家権力と闘わずして、戦争に向かう安倍を先頭とする支配者と対決することはできません。過去の歴史を見ても、戦争を遂行する時代には治安弾圧もまた強化されます。弾圧に対しては反弾圧・反権力の闘いを共同して反撃することが重要です。
一日も早く仲間全員を取り戻すために、救援活動への支援を訴えます。

*弁護士と多くの人々の抗議によって、赤坂署の被逮捕者は23日午前10時に保護房から出された。

救援連絡センター

2015-09-21 PM-19:31

国会審議から見えてきた安全保障関連法案の本質

7月16日、安全保障関連法案が衆議院で強行採決され、参議院での審議も大詰めを迎えつつある。政府側の説明は、様々な論点で二転三転したり、曖昧模糊な答弁に終始したりしている。特徴的な答弁は、「イスラーム・ステート」(IS)掃討作戦への後方支援について問いただされた際の、「政策的判断として軍事作戦を行う有志連合に参加する考えはない」、「法制度ができたとしても、要件が満たされれば必ず派遣するかといえばそうではない。その時々の政策判断がある」(安倍首相、衆議院平和安全法制特別委員会、5月28日)といったものだ。「××は法的に可能になるのか」という質問に、「××は現在はやる気はない」とはぐらかすのである。これでは、論議は深まりようがない。
だが、安保法整備の審議で、その本質が見えやすくなってきたことも確かである。
岸田外相は、8月26日の参議院平和安全法制特別委員会での答弁で、日本が自衛権の行使途中で集団安全保障措置に切り替わった場合のみ参加可能としてきた集団安全保障措置について、自衛権行使前でも参加可能になると説明した。具体的には、自衛権とは無関係に、「国連安保理決議あるいはそれに類するもの」を根拠に多国籍軍に弾薬輸送を含む後方支援という形で参戦するということだ。 国際平和支援法により、時限的な特別措置法で実施されたインド洋での給油活動などが恒久化されるのである。なお、「国連安保理決議あるいはそれに類するもの」という根拠付けが困難な場合でも、「そのまま放置すれば我が国に対する直接の武力攻撃に至るおそれのある事態等我が国の平和及び安全に重要な影響を与える事態」(重要影響事態)を理由に、多国籍軍への後方支援を実施するつもりだと思われる。イラク戦争型有志同盟軍への後方支援も可能にするというわけだ。
また、安全保障関連法案の成立を前提に、防衛省が南スーダンPKOに派兵されている自衛隊の任務に駆け付け警護を加えることを検討していることが、参議院平和安全法制特別委員会で明らかになった。安全保障関連法案の国際平和協力法(PKO法)改悪部分が、法案成立後に最初に政策として実施されるというわけだ。南スーダンは、西はISの活動が活発化しているマグレブやサヘル・サハラにつながり、北はイスラム主義政権が支配するスーダンと対峙し、南はソマリアでの「テロとの戦い」の主力を担うケニアに接する。いわばアフリカにおける「テロとの戦い」のヘソだ。また、PKO法改悪により、NATO諸国軍がアフガニスタンで行ってきたような治安支援活動への参加も可能になる。
防衛省が8月18日に参議院平和安全法制特別委員会理事懇談会に提出した内部資料では、「任務遂行のために武器使用」を行うケースとして、PKOの駆け付け警護以外にも邦人救出が挙げられていた。自衛隊法改悪で実施可能にしようとしている邦人救出も、アルジェリア日揮プラント襲撃事件などを念頭に置いたものだ。
アフガニスタン─イラク戦争型多国籍軍・有志同盟軍への後方支援、大規模戦闘終了後の治安活動、危険性の高いPKOでの他国軍への駆け付け警護、邦人救出、全て「テロとの戦い」を想定したものである。安全保障関連法案とは、「対テロ戦争」参戦法なのだ。なお、盗聴法の拡大、共謀罪新設などは、それと表裏一体のものである。
前述の防衛省内部資料は、2015年4月版の「日米防衛協力のための指針」(ガイドライン)と安全保障関連法案に基づく対米協力の拡大も検討していた。このうち具体的な検討項目として目立つのは「南シナ海での平時の警戒監視」だと報じられている(東京新聞八月一九日朝刊)。これに関して、中谷防衛相は、国会審議では可能性を否定しないが、あいまいにしか説明してこなかった。だが、法案成立後にはやる気満々というわけだ。
安全保障関連法案の第一の本質が「対テロ戦争」参戦であるとすれな、第二の本質は、この対中抑止力強化である。『サンデー毎日』(2015年6月28日号)は、これに関する興味深い記事を掲載している。それは、6月2日に訪日したフィリッピンのベニグノ・アキノ三世大統領と安倍首相の間で日比の「訪問軍協定」(VFA)手行ける交渉入りの密約が交わされたというものである。この日比VFAができれば、自衛隊がフィリッピン国内の基地を一時使用できるようになる。豪比VFAと同様の内容ならば、自衛隊が日米地位協定で在日米軍が得ているような治外法権を手にすることができる。
ここで思い出して欲しいのが、武力攻撃事態法の存立危機事態の定義である。それは、「我が国と密接な関係にある国に対する武力攻撃が発生し、これにより我が国の存立が脅かされ、国民の生命、自由及び幸福追求の権利が根底から覆される危険がある事態」というものだ。そして、この存立危機事態においては、日本が攻撃されていなくとも、集団的自衛権が行使できると政府は言っている。

2015-09-18 PM-17:56