☆「国会突入」を考えるーー「「跳躍」の運動史」序説 松平耕一

 雨の日がずいぶん多かった気がする。初夏から初秋にかけて、安全保障関連法制定に反対する国会前行動に足繁く参加した。傘を持たない日の夜に、パラパラと降り出す俄雨に閉口した。また、ザアザアの雨の日は、どうせ人も少ないだろうと行動に出向くのが億劫になった。常連の参加者たちは、レインコートの完全装備でデモに行く。今回の一連の行動では、自分も、十代のころ使っていた、埃の被ったポンチョをロフトの奥から引きずりだした。つばのせり出た黒いキャップを被り、ポンチョを重ねた。人が少ない道では傘をさし、混雑した行動の最中ではその折り畳み傘を鞄にしまう。iPhoneとビデオカメラとハンドマイクを濡れないよう、持ち替えやすいように装備する。それにしても、今年の安倍政権は雨に救われたのじゃないかと思ったりした。
 参院本会議でいよいよ強行採決がなされるという、九月一八日の金曜日も雨だった。その夜、翌朝まで抗議するぞという声も聞いたが、私は二二時くらいには国会前を引き上げ、友達と市ヶ谷で飲み屋に入った。自然に六〇年安保の話になる。「六〇年安保の強行採決の日も、雨が降りしきる中での切ない抗議だったらしいよ」と。ビールを何杯か重ねたところで、なんとなく、自分一人だけでも、国会に戻ろうかという気分になった。意外に、裏門とかからなら、国会へと突入できるのではなかろうか? そのまま正門へと突き抜けて帰ってきてしまえばいい。私は、国会内部へと私を招く声が聞こえている気がした。九月一六日に、一三人の逮捕者が出ていたことと関係があるかもしれない。
 門扉というのは一つの境を形成する。門の内部と外部には、別のルールが流れる。門の内外で、別の法に支配されてあるのは不思議なことだ。もしも知らない人が、いきなり扉を開けて私の部屋に上がってきたら、私は仰天するし、怒りにかられるだろう。施設管理権というものが、一般の私有地では働き、外部からの侵入者を、この法をもって排除する。
 しかし、国会の内部とは一体何なのか? 私はそこから排除されていて、一方的な観客にならざるをえない。公的な空間にて、私個人の、生活と人生を左右する議論がルールを守らずに、理不尽で非論理的な方便にてなされているのなら、ちょっと怒鳴り込みに上がりたくなるのも人情であろう。
 私は国会突入をテーマに毎回の国会前行動に参加した。警察の規制線をいかに後退させていくかが私にとっての関心事である。人が多いときに、荒れている場を探す。警察と揉めている人がいる空間では「警察帰れ」「道を開けろ!」「警察おかしいだろ!」「青信号なのに何で歩行者を歩かせないんだ!」「過剰警備反対!」と叫びまくる。参加者が一緒になってコールをしてくれる、手応えのあるときも多かった。
 多くの逮捕者が出た大規模弾圧の起こった、九月一六日は鮮明な印象に残っている。九月第三週は連日、マスコミが押し寄せその人垣が凄かった。三一一以降に始まった脱原発運動が、当初はまったく新聞でもテレビでも報道されなかったことを思えば、隔世の感がある。撮影のためのライトが立ち並び煌々としていた。
 無機質な白い光に照らし出されて、浮かび上がる、警察に激しく押される人々の群れ。蠢き、叫び声。規制線をさげないように守勢にまわっていた権力が、不意に一転して攻勢に出て、私とスクラムを組んでいた一人の人が消えた。あるべきものがなくなった感触が私の身体に残り、私は総毛立った。内部と外部を隔てる頑強な檻が私を飲み込もうとしているのを感じ、怖くなり私はその場を逃げ出した。「仲間を返せ」という叫び声が繰り返された…。一六日の大規模弾圧である。
 一三人の逮捕者というのは、国会前行動では近年では初めての出来事だろう。同種のものとしては、二〇一一年九月一一日の新宿での「原発やめろデモ!」の一二人逮捕事件が思い起こされる。逮捕者が特定セクトの人間に偏ったわけではないという点で、二つの事件には類似性がある。この種の大規模弾圧の起こる状況には条件がありそうだ。一つは、民衆の広範な怒りが激しくたまっていること。もう一つは、警察側が、完全に、何人でも逮捕するつもりで当日の警備にのぞんでその場に出向いてきているということだ。
 関東圏の運動での、三一一以降の大規模弾圧の歴史といったものを考えてみたい。二〇一一年の東京での街頭行動を代表するであろう「原発やめろデモ!」は、六月一一日の新宿デモが成功のモデルケースとしてあった。デモ終了地点である新宿東口駅前広場を占拠状態にし、大変大がかりなお祭り騒ぎをもたらした。これを繰り返そうとしたのが同年九月一一日の「原発やめろデモ!」であったが、絶対に繰り返させまいとした警察側に激しく弾圧されることになった。このデモは、私自身も少し準備を手伝っていたが、警察側とのデモコースについての折衝が難航し、権力が相当な強硬姿勢で警戒にあたっている不穏な感触があった。また、参加者側が、警察側に対して苛々ピリピリしている雰囲気も感じられた。参加者たちのおさまりきらない怒りと、警察の強硬な姿勢から、些細な事実を理由とした激烈な大規模弾圧が生じた。
 同様の状況は、ちょうど四年と少しを経過した、本年の九月第三週の安保法案反対行動においても起こっていたと思う。まず前段として、九月一四日の月曜の行動で、四万五千人と言われる参加者が集まることで、国会前道路の完全解放がなされた。警察車両は運転の途中で、徒歩の参加者たちに遮られて動きを止められたりもしていて、あちこちで車両の上に攀じ登られている始末だった。権力側は警備体制を見直ししたらしく、翌一五日からは断固とした姿勢で警備にあたるようになる。人々が集まり始めるより、ずっと早い時間から警察車両をぎりぎりまで敷き詰め警備をガチガチに固めた。九月一六日は、一四日と同様の規制線の突破を行おうとした参加者たちが、強硬な姿勢の警察に、全面的に弾圧されることになった。
 よく言われることであるが、ラディカルな行動というものは、不意打ちの形でなら成功しやすい。たとえば、九月一六日の新横浜で行われた地方公聴会では、数百人が路上に飛び出し車を遮り横たわるシットイン抗議が行なわれた。暴動状態だったとも言われる行動だったにもかかわらず、逮捕者が出ていない。弾圧にあたったのが神奈川県警だったからということもあるだろうが、権力側は、前例がなく事前に予測できない行動では、逮捕を行ないづらいとも言える。
 路上の解放ということで言うと、二〇一二年、大飯原発再稼働を二日後に控えた六月二九日の官邸前車道の完全決壊が成功のモデルとしてあった。そのことを念頭に置いた上で、一五年の安保法案反対行動では、かなり早い段階から、八月三〇日にたくさんの人を集めて、国会前車道で決壊を起こすことが目標とされていた。六月の段階で、毎週金曜の行動にて、六〇年安保闘争を目標とした数字で、「三〇万分の一になれ」「友達を連れてきて下さい」と繰り返しアナウンスされていた。その成果として三〇日には「戦争させない・9条壊すな!総がかり行動実行委員会」の発表によれば一二万人が集まり、国会前車道の解放が実現した。この三〇日を過ぎると、主催には少し気が抜けたような雰囲気も見受けられた。安保法案の成立がいよいよ迫った九月一四日は、関係者間でも事前に予測がつかない、平日月曜夜での、不意の車道完全解放が起こった。四万五千人でこれをやってしまったのもすごいことだ。
 今回の行動を振り返るにあたって、首都圏反原発連合について考えてみたい。二〇一二年に官邸前車道を決壊させた立役者である反原連が、「原発やめろデモ」への大規模弾圧の反省のもとに作られた組織であるということはしばしば言及されている。同団体の方針として、夜に騒音を出すことで迷惑になるということでの、二〇時での完全解散や、「官邸突入」を主張するものを弾圧するといった特徴があげられた。運動体内外で揉め事があると適宜警察に通報する。警察と連携を取り合い、「跳ねるやつを潰せ」の原理を持つ。無軌道な大衆の怒りをコントロールし、運動体としての規律を作り出すべく、スターリニズム的な課題を意識することで活動がスタートしている。行動の終了後、ゴミ一つ残さず掃除して帰るという、ファシズム的とも見える感性が誇られることもある。
 反原連については、小熊英二編著『原発を止める人々ー3・11から官邸前まで』(二〇一三年、文藝春秋)が詳しい。本書は二〇一一年から一三年にかけて、脱原発の行動に参加していた五〇人の人々の証言を蒐集していて大変な労作である。現代のデモの特徴を知る上で貴重な資料だ。小熊は反原連の統制的な側面を評価しつつ、「「3・11」以降の脱原発運動は、世界でも類例のない形態を実現させた。それは個々の当事者には見えていなかったかもしれない、多様な動きの連動の結果であり、大きな民意の表現だった。人々はいまだ、その奇跡を奇跡として自覚するほど、みずからの達成に慣れていない。そのことがはらむ可能性の深さに、彼らはまだ気づいていないのである」と手放しに絶賛している。
 本稿を書いている直近での、二〇一五年一一月六日金曜の反原連による官邸前行動は、すでに一七一回目にもなり、約千百人が集まったという。何年にもわたって毎週集まり続ける被災者の方たちの、切羽詰まった、しかしそれでも自身を律し、声を上げ続けることに集中する、狂おしい気持ちには頭が下がる。回数でも規模でも並大抵でない金曜官邸前行動は、もしかしたら、私たちにとって一生の課題になるかもしれず、私が死んだあとでも続き、参加者も増えていくかもしれない。
 しかしどうにも、国会前で数時間、アジ演説を聞き同じコールを繰り返し行ない、これを週毎に繰り返すというのが、個人的には苦役であり参加し難い。小熊の肯定する運動論は、ほとんど「労働としての運動」に見える。祝祭なき、蜂起なき、革命なき、ストイックな忍耐の運動で、「カフェイン抜きのコーヒー」のごときだ。もちろん、反原連のような努力と忍耐の街頭行動者からすれば、不意に入ってきた余所者の「跳ねる奴ら」に場を荒らされるのでは、たまったものではなかろう。しかし「統制」と「跳躍」という軸について考えたとき、小熊の運動史は「「統制」の運動史」といったものだが、私は別に、「「跳躍」の運動史」を提示しておきたいと思う。
 二〇一二年夏の官邸前行動ということで言えば、興味深かったこととして、「ざらすとろ首相官邸前直訴事件」があった。大飯原発がいよいよ再稼働するという当日、とある男性が首相官邸前を訪問した。野田首相に会いに来たので通して欲しい、取り次いで欲しいと、彼を遮る警官に対し、歩道で座り込み交渉を続けた。福島第一原子力発電所四号機は現在極めて危険な状況にあり、その上大飯原発も再稼働してしまうし、野田首相に会えないなら、みんなは死んでしまうしかないかもしれないし、それなら…とアピールし、ナイフを取り出した。そしてその場で、大勢の警察に取り巻かれて、銃刀法違反の容疑で逮捕された。ざらすとろは、彼を通すまいとする警察に対し、「あなたたちはカフカの小説に出てくる門番のようだね」と説得を繰り返していたことが、私には印象深かった。
 もっとも、首相に会わせろ、国会に入れさせろという主張は、礼儀正しく頼めば可能なものなのかもしれない。実際、反原連は、二〇一二年八月二二日に野田首相との面会を行ない、主張の申し入れをしている。また、SEALDsの奥田愛基は九月一五日に参議院特別委員会公聴会に参加し意見を述べている。それらが画期的だとする意見も分からなくはない。だが結果としては、それぞれ、反原発派の意見を聞き入れられたふりをされ、安保法案反対の運動を黙らせられ、代議制民主主義の度量の深さと見せつけられただけではなかろうか。門扉の中に招かれたとしても、「まあまあ」と宥められるためだけの茶番に終わるのなら、やはり恨みつらみが残るであろう。
 私たちは、怒りを抱えて首相官邸の前へ、国会の前へと押し寄せる。そして、門にたたずむ警察に追い返される。もしもそれでも中へ入ろうとしたとき、結果、その門扉が、留置所への、刑務所への門扉と繋がっていることを知るかもしれない。だが、緊張で張り詰め言葉をなくし、怒りを抱えて門扉へと飛び込もうとする跳躍の衝動に、私は「自由」を求める決断を見る。マスコミに取り上げられない、国会にて代表されえない、意識においては忌避されるが、無意識においては望まれるかもしれない衝動に、むしろ「一般意志」と呼びうるものを私は感じる。
 ラディカルへと走る大衆の行動と、自制させ統制しようとする力と、二つの力のせめぎ合いを、三一一以降の運動の中に、私たちは認めることができる。翻って考えてみるに、人間の各個人は、衝動と抑制の二つの相反する要素を相互にあわせもつ。元来、衝動だけの人間も抑制だけの人間もいない。私たちは暴れ出そうとする右手と、それを止めようとする左手を持つ、衝動と抑制の二重体なのである。怒りとともに無意識に「邪王炎殺黒龍波」とかいった名称の必殺技をはなってしまうかもしれない右手があり、同時に、それに手錠をかけておく左手がある。私たちを抑制し日常生活の中に閉じ込めてあるのは、私たち自身だ。
 そしてさらに、個人においてのみならず、組織においても、衝動と抑制の二面性が存在する。つまり、運動史というものを、衝動と抑制、二つの駆け引きのダイナミズムとして綴ることができる。私は本稿において、三一一以降の国会前行動の「跳躍の運動史」を素描し、歴史を概括しつつ、その運動の獲得目標を提案したいのだ。
 二〇一一年以降の関東圏の運動史は衝動と抑制の間で、弁証法的発展を遂げてきている。三一一のあった二〇一一年は、「原発やめろデモ」における「見る前に飛べ」の如きラディカリズムの発露があった。二〇一二年は揺り戻しとして、反原連におけるスターリニズム的な抑制の運動があったが、これも一過的なものだ。逆説的な話だが、国家による弾圧の激しさは、民衆のラディカリズムの度合いを測る鏡ともなる。
 二〇一三年に高潮に達した反ヘイトスピーチ運動では、九月八日にはレイシズムデモに抵抗して新大久保路上でのシットインが行なわれた。シットインはその後もあちこちで繰り返し試みられた。カウンター界隈では、いろいろな手法でぎりぎりのところまで踏み込みレイシズムと対決し、逮捕事件が繰り返し起こっている。また、二〇一三年一二月には秘密保護法強行採決反対行動にて、国会傍聴者の「靴投げ」弾圧事件があった。二〇一四年では、集団的自衛権反対行動の中で、新宿での焼身自殺未遂事件と、日比谷公園での焼身自殺事件が起こった。二〇一五年では、米軍の辺野古基地移設反対を訴えた国会包囲行動が、一月、五月、九月と行われたが、それぞれ八千人、一万二千人、二万二千人と、回を増すごとに参加者が増えた。これらの諸行動には、「抑制」の枠に収まりきらない、大衆のラディカリズムが顕示されていて、フツフツと湧き上がる人々の怒りが見てとれる。二〇一三年、一四年の「衝動」の経験は、二〇一五年八月、九月の安保法案反対行動のラディカリズムへと流れ込んでいる。
 二〇一三年の秘密法反対行動については、一つ附言しておきたい。安倍政権が参議院において秘密保護法案を強行採決したことに際して抗議し、国会内で靴を投げたAさんは起訴をされて、未だに控訴審中だ。秘密法を成立させた審議過程に問題があることを訴え全面的に争っていて、とりわけ国会「突入」性の深い事件である。マスコミによるAさんの扱い方にも大きな問題があり、彼のやったことの意味の重さが慮られる。
 さらにもう一点言うと、Aさん逮捕の日、一二月六日の国会前行動では、二名の逮捕者が出ていた。この日は国会周辺で三万人の参加があり、正門直前にて逮捕者が一名出たのだが、主催はそのことをアナウンスせず誰も騒がなかった。私は現場を見ていたので、その場で「仲間を返せ」とコールしたのだが、乗ってくる人もいない。「特定秘密保護法反対」のコールを無機質に繰り返す、反弾圧意識のない参加者たちと、逮捕事件を知りながらも情報の共有化を行なわない主催の無感覚さはどうかと思った。行動の中で逮捕者が出てもダンマリを決め込むのは、危険だし不審でもある。逮捕者が出たことについて一切言及せず、救援を終えるというのは、この時だけに留まらず、関東圏の行動で繰り返されている。
 以上のことを踏まえてみるに、本年二〇一五年の安保法案反対国会前行動は、以下の点において評価すべきことがあったと思う。第一に救援を巡る対応について。九月一六日の大規模弾圧について、二四日に、主催の総がかり行動が不当逮捕事件を批判するむねの声明を公式に出した。行動の中で、内田雅敏弁護士がスピーチにて声明を読み上げた。反原連周りではまったく行われていなかったことであり、画期的である。また、逮捕者の解放時に主催は、仲間が返ってきましたという旨のツイートをしてもいる。二〇一一年の大規模弾圧に比べれば、救援がスムーズに行われもした。これらは大いに肯定すべきことだと思う。
 評価すべきことの第二のこととして、まとめてあげると、反原連による行動が、二〇時で終わるのに対し、反安保の国会前行動は二二時まで行なわれていたこと。また、前述の通り、「警察帰れ」といったアジテーションが、以前よりは受け入れられやすくなったこと。さらに、鉄柵撤去行動が常態化し普通のことになり、国会前車道の全車線解放を二回も成し遂げたこと。
 第三に、逮捕者への激励行動の参加者の広がりについても言及したい。九一六弾圧逮捕者への、中央署・品川署での激励行動は、彼らを心配する一〇〇名近くの人々が集まった。付け加えて振り返ってみると、九一六弾圧の先駆として、五月二八日に、戦争法案反対国会前集会の参加者三人が、経産省前にて逮捕されるという事件があった。この五二八経産省前弾圧でも、五月二九日の激励行動で、二〇〇名もの人が集まっている。救援の態勢ができていて、周知が即座に拡散できる情報網が整っていて、かつ行動への支持が相当にあるということでなければ、これだけの人を集めるのは難しい。今までの経過から見れば破格な出来事だ。
 今夏の安保法案反対行動の画期的な点を挙げてきた。もちろん、私はすべての衝動を無限定に肯定するわけではない。打算的な話であるが、「跳躍の行動」を試みるなら、救援の態勢のある条件で、世論の支持が集まりうる情勢で、行なった方がいいと思っている。
 個人的には、二〇〇一年に法政大学にて松本哉らが引き起こした「ボアソナードタワー事件」が、とにかくトラウマであった。当時、建設されたばかりだったボアソナードタワーにて、法政の清成忠男総長(当時)と奥島孝康総長(同上)が、大会社の社長を招きシンポジウムを開くという。これに対し、松本ら多数の黒ヘル集団が、シンポの会場に突入して、消化器を振りまきペイントボールを投げ「襲撃」した。結果、彼らのうちの計五人が起訴されている。
 当時の世情を振り返ると、九月一一日にアメリカ同時多発テロ事件があった。その一〇日後の九月二一日に、法政大学では、産学協同路線へと邁進し、大学の就職予備校化を、ネオリベ化を推進しようというセレモニーが行われようとしていた。これを破壊すべく突入を試みるのは、一つのロジックとして正しいとは思う。しかし、世論の支持が得られず、救援の態勢も整わない場での衝動的な行動は、どうにも悲惨な展開をもたらす。ボアソ事件の結果、関東圏のこの世代の黒ヘルは壊滅したとよく言われる。
 同じテリトリーである法政大学学生会館に所属していた私は、この事件に直面して、松本らの側ではなく、「統制」の側につく決断をした。このとき、私は、自分の手で、自分自身に手錠をかけてあることを意識した。以来十年間、私にとって衝動的な跳躍というものは、屈託の対象であった。そのこともあり、私は、半分くらいは、反原連のような統制の効いた行動への支持者である。だが、二〇一一年の三一一を境に、私は、自分で自分にかけた手錠を外すべきだと感じた。私は宗旨替えを行ない、統制と衝動のうち、衝動の側に組することに決めた。
 二〇一一年九月の「原発やめろデモ!」の大規模弾圧では、救援の方針を巡って関係者間で混乱が生じていた。未だに、救援会に関わったものどうしの間での、悪罵のしあいがネットで生じていて、実は現在進行形の問題である。このトラブルは、一つには松本哉の大衆的なキャラクターに起因してもいたと私は思う。松本がかつて引き起こした二〇〇一年九二一のボアソ事件への弾圧に際してもそうだったが、「完黙非転向」が正しいという意識は松本にはなく、救援にあたっての動きに統一性がない。理論を突き詰めるということに興味がなく、雑というか、やる気がないスキゾ的なアナキストの松本は、党を形成するようなパラノ的なタイプではなく、現代的ではあるが、大規模弾圧があると周囲を巻き込み自壊してしまう。反原連は、松本との運動の経験から、警察と適当に関係を作りつつ、絶対に逮捕者を出さない方針を選んだ。
 しかし「跳躍の運動史」にあっては、逮捕事件に際して、完黙非転向と、救援会により不当逮捕弾劾の声明を出すことが重視される。警察に妥協をせず、獄中闘争を続けるのが正しいという見解に理解が得られるよう、努力を続けていきたいところである。
 ともかく、私たちは、二〇一一年の「原発やめろデモ!」で、「言うこと聞くよなやつらじゃないぞ」と歌った。二〇一二年には、大飯原発再稼働反対行動の中で、「ナメられているにもほどがある」と歌った。そして、今回の行動では「本当に止める」がスローガンだった。しかし、その実態はどうか。二〇一二年一二月の第四六回衆院選では自民党が二九四議席を獲得し圧勝、安倍第二次内閣が発足。二〇一四年一二月の衆院選でも、再び与党が議席数の三分の二を維持し、長期政権化が決まった。さらに、安保法案成立後の現在、一時落ち込んでいた内閣支持率は再び上昇してきている。結局「言うことを聞かせられ」「ナメられ」「本当には止められず」に過ごしてきているのが現状ではないのか。
 二〇一四年には台湾で、学生たちによる立法院の占拠があった。彼らが非暴力の行動で、この行動を成し遂げたことは見習うべきことだ。占拠の行動に連携した「全国ロックアウト労働者戦線」という団体は「三つの夢想」というトピックをアピールしていた。いわく、「第一の夢想、もしも国会がなくなれば」「第二の夢想、もしもサービス貿易協定がなくなれば」「第三の夢想、もしも国家がなくなれば」。国会を成立させているものは何なのか、国家を成立させているものは何なのか、今一度問い直す思想は、日本においても必要だ。
 また、拠点に押しかけようとした歴史的事件として、六〇年安保闘争や、戦後の皇居前広場での、血のメーデー事件も参照点とできる。非合法活動時代の共産党や、六〇年安保におけるブントを鏡としつつ、現代の三一一以降の国会前行動において、可能にして効果のある運動体はどんなであるかを検討したいが、またの機会の課題である。
 繰り返すが、今夏のような、世論の支持を集められ、救援の態勢が準備できる情勢では、九一六のような跳躍の行動があっても良かろう。欲を言えば八月三〇日はもっと踏み込んだ行動をする最大のチャンスだったと思う。この日は覚悟のある集団が早い段階で国会正門前横断歩道まで辿り着き、全力で鉄柵の撤去に取り掛かっていれれば、国会議事堂の門扉を開けたはずだ。
 六〇年安保闘争時、人々は、国会の四方の道路を解放し、ジグザグデモでぐるぐると周りながら、構内へと突入しやすい場所を探したという。私たちにおいても、国会正門直前交差点と、国会を取り巻く四方の道路の完全解放もまた目標となるだろう。今夏の状況ではおそらく、蜂起をするにはまだ人数が足りていない。国会正門前南岸のスピーチエリアのアピール力に頼り過ぎてもいた。本来、複数の中心部が必要で、同時多発的に様々な方向から国会へと決起しなければならない。
 もしも今後、原発による放射能被害がさらに広がり、米軍基地が増加し、日本がいよいよ戦争するといった事態が起こるとなったらどうするか。国会へと、首相官邸へと、また別の某場所へと、突入し占拠する思想が必要かもしれない。その思想実験は、日本の民主主義と立憲主義を考えるうえで、もう一つの、オルタナティブな観点をもたらすはずだ。適当な獲得目標を思いつきであげれば、三千人の逮捕者の救援を行えるだけの仲間の形成と、世論の醸成に取り組みたいものである。私たちが自らにかけた手錠を自ら解き放ち、揃って右手を天に突き出し蜂起したとき、門扉は開かれ、天は裂け地が割れ雷が落ち、この世の全ては勦滅し、そして、迷妄の古き神話が終わり、まったく新しい存在史の時代が、始まらないとも限らないであろう。
(『情況』2015年12月号に掲載予定)

戦争立法の強行採決糾弾!刑訴法等改悪案の通常国会制定を阻止したぞ!

戦争立法の強行成立糾弾!
9月19日、徹夜国会を機動隊の装甲車が取り囲み、反対の声を力で押し切って、戦争法が強行成立させられた。55年ぶりの日米安保―専守防衛政策の大転換であるにもかかわらず、ガイドライン改定―平和安全法制整備法・国際平和支援法などと仮装した欺瞞、〝法的安定性など関係ない〟とする反立憲主義・明文改憲への露骨極まりない姿勢は、徹底的に糾弾されるべき歴史的暴挙である。
しかし一方、安倍の暴走は、何十年ぶりの、しかも学生から老人まで全世代にわたる大衆的な反対の声と街頭行動の波を引き起こした。連日の闘いは政権中枢の狼狽をもたらし、政治が運動・力関係であることを大衆的に実感させた。元最高裁長官が違憲と断じるなど支配のイデオロギー的危機と亀裂が顕わになり、世論調査でも〝論議が尽くされていない〟が79%に上り、安倍政権の支持率は低下している。戦争国家化を阻止する闘いは続く。
安倍政権が狙う戦争国家化策動は、①集団安全保障・集団的自衛権・グレーゾーン強化などの戦争立法、②日本版NSC・防衛省設置法改悪・辺野古新基地建設・オスプレイ配備などの米軍・自衛隊再編や原発再稼働などの戦争遂行体制整備にとどまらず、③治安管理エスカレート、④思想的・社会的な動員・翼賛として、総合的に進められている。③は、日米新ガイドラインに初めて〝サイバー戦争〟が謳われたように、あるいは戦争法で〝国際治安支援〟が重視され対〝テロ〟戦争が謳われたように、戦争と治安が全世界的に融合していることにもっと警戒の目を向けるべきである。英2015反テロ法は地球上に異端者が棲息できない域に達している。日本でも伊勢志摩サミット戒厳、テロ指定・資産凍結法施行、東京五輪に向けた「世界一安全な日本」創造戦略が現在進行形である。通常国会でもマイナンバー法・個人情報保護法改悪や不正競争防止法改悪(産業機密保護法!)が強行され、国会周辺や辺野古で無法な弾圧が襲いかかった。④は、実戦に向かう自衛隊の充足率が70%にとどまる中で、高知中央高校が自衛隊コースを新設するなど自衛隊による若者のリクルートが活発になり、社会の全領域を軍事・治安管理のヴェールが覆いはじめている。安倍の暴走は安倍首相の極右的体質によるだけではない。
通常国会で刑事訴訟法等
  改悪案の成立を阻止!
マスコミが報じないため、通常国会での攻防を簡単に見てみる。3月13日閣議決定の刑訴法等改悪案は、5月26日衆院審議入り後、録音録画・司法取引・証拠開示・盗聴の徹底審議で法案の危険性が大きく暴露され、与党―民主・維新の修正協議は難航していた。8月初め時点で強行採決を乱発する以外に今国会成立の芽はなくなっていたが、それは戦争法審議の渦中では不可能であった。しかし8月4日夜に修正協議が突如合意され、事態は暗転する。5日衆院法務委で採決が強行され、マスコミが〝今国会成立へ〟と一斉に書きたてる局面に突入する。
しかし8月19日参院本会議で、民主党、維新はあたかも修正合意などなかったかのような〝賛成〟討論(修正が何の歯止めにもならないことは提案者自身が認めている)を行って慎重審議を求め、以降、法務委がまったく開かれない事態が続く。
こうした中で8月31日『時事通信』が、自民強硬派〝審議抜きの強行採決〟と公明〝継続審議〟の対立を報じ緊張が走るなかで、9月3日院内集会に民主党・共産党議員らが出席、民主党・小川議員が〝廃案へ〟と発言する。更に9月4日にマスコミが〝今国会成立見送り〟と報道する一方で、9月10日司法試験漏えい問題を審議する法務委で、与党が法案趣旨説明を強行し15日の審議を求めたが野党が拒否する、13日市民集会で維新・真山議員が法案反対を表明するなど、最終盤の攻防が展開された。以降、戦争法強行採決をめぐる攻防で法務委が開けず、26日継続審議となったのである。
流れを見れば明らかなように、通常国会攻防は、近来稀な逆転・再逆転の波乱に満ちた展開になっている。廃案こそ勝ち取れなったものの〝継続審議〟は運動の力で勝ち取ったものである。
到達点と課題
民主党政権の法制審諮問・日弁連を含む一括答申を受けた刑訴法等改悪阻止闘争は、極めて不利な力関係の中で出発せざるをえなかった。短期決戦の衆院攻防は、誰も想定しなかった長期戦となり、困難を超えて様々な運動上の成果を勝ち取られた。獲得した地平の意味を捉え返し、秋以降に向かう必要がある。
悪法阻止闘争は、従来の治安法反対闘争と異なって、①政府・法務省・与党による一括法案の拙速制定策動②日弁連執行部の政府への全面協力、民主党など与野党への働きかけ③多くのマスコミの沈黙④様々な市民団体の意思統一の困難と逡巡⑤運動圏の戦争法反対闘争への注力などの困難を抱えながら、執拗に闘い抜かれた。
①盗聴・密告・冤罪NO!実行委員会・新捜査手法反対連絡会議の奮闘
今春の闘いは、冤罪被害者とその支援の流れ+反治安法闘争を闘う流れ+弁護士会反対派の流れなどが〝危ういが画期的な共闘〟で、闘いを推し進めてきた。なかでも冤罪被害者が冤罪解消を名分とする法に反対する衝撃力は巨大であり、それは様々な政治的思惑を突き破った。冤罪被害者の闘いや法制審反対闘争を闘ってきた新捜査手法反対連絡会議などの闘いが、闘いを独自に進めながら、ジョイントして市民集会、闘う国会議員と合流した院内集会を重ねえた。カンパニアでなく、現場の闘いをそれぞれ進めながら共同して治安立法と闘い抜くことは、以降にとって大きな意味をもつ。
9月27日国会閉会以降も、臨時国会制定を阻止する闘いは続いている。9月15日に日弁連執行部が成立を見越して呼びかけた〝3%から100%へ〟可視化市民集会の欺瞞性を暴く弁護士会館前リレートーク、10月1~2日の日弁連人権擁護大会参加の市民・弁護士への訴え、冤罪被害者声明賛同の拡大などである。
②闘う弁護士・単位弁護士会、市民団体の反撃
日弁連執行部の屈服と締めつけを超えて、3・6京都弁護士会、3・13閣議決定時の一八単位弁護士会を皮切りに、52単位弁護士会のうち22単位弁護士会会長などが反対声明をあげた。異例の事態であり、この弁護士らの声を抑圧する3・18、5・22日弁連会長の早期成立希望声明は、文字通り〝恥知らず〟の一語に尽きる。また日本ペンクラブなどの盗聴法改悪反対声明など反対の声はようやく社会的に広がり始めている。
③翼賛国会への切り込み―闘う国会議員との連携
翼賛国会に切り込むことが容易でないことは、昨秋のテロリスト指定・資産凍結法攻防で明らかである。その意味では、法務省・日弁連らの早期成立工作をはねのけ、野党の良心的議員が反対の声を上げ続けているのは、以降の闘いにとって大きい。同時に、突然の修正合意は、翼賛国会内は伏魔殿であり、いつ何が起きるか分からないこと改めて知らせた。ロビー政治の時代は終わり、大衆運動の高揚、それに依拠した国会内・外の共闘にしか道はない。
手を緩めず、
廃案を勝ち取るぞ!
刑訴法等改悪案が、冤罪と盗聴を飛躍的に拡大し、戦後的刑事司法を破壊し、戦争国家に見合った検察・警察国家を創りだす画段階的な攻撃であることが顕わになってきている。しかも警察は、答申が〝今後の課題〟とした室内盗聴、あるいはDNA拡大、スパイ育成の制度化も進めている。〝新時代の刑事司法〟とは、非常事態型の臨戦国家に見合う刑事司法体系の構築であり、それは共謀罪・秘密法と一体になって〝現代版の治安維持法〟体制を創りだす。
法制審答申を受けて国会上程された刑訴法等改悪案が長期の通常国会で成立しないなどとは、誰も想定していなかったろう。しかし冤罪被害者や反治安法闘争を闘ってきた流れが合流した全力での闘いは、法務省・与党を追い詰めた。以降、推進派の巻き返し・激突が予測されるが、私たちは闘いとった時間を活かし、廃案に向け全力を挙げる。戦争と治安エスカレートを阻止するために、共に闘いましょう。
(石橋 新一/破防法・組対法に反対する共同行動)

宮下公園ナイキ化反対!国家賠償請求訴訟に勝利したぞ! 渋谷区は宮下公園をナイキ化以前の原状に帰し、原告など公園の利用者に謝罪しろ! 「新宮下公園計画」を白紙に戻せ!

●宮下公園ナイキ化計画とは何か

渋谷区は、スポーツメーカー・ナイキジャパンに区立宮下公園のネーミングライツ(命名権)を売り渡す。ナイキジャパンは自費で宮下公園を改修、有料の施設を設け公園の利用者をふるいにかける。宮下公園はナイキジャパンの広告塔となり、当然にも野宿者、貧困者は公けの園から追い出される。渋谷区は、この計画を水面下で推し進める…。

ナイキ化計画の存在が発覚したのは、2008年5月のことでした。その後、ナイキジャパンは宮下公園の改修などの総工費4億円を全額負担し、渋谷区にネーミングライツ料として年間1,700万円を支払う計画である旨、マスコミにより報じられました。もちろん私たちは、このナイキ化計画に繰り返し異議を唱えました。が、ナイキジャパン、渋谷区が、私たちの声に耳を傾けることはありませんでした。

●突然の全面閉鎖

そして渋谷区は、2010年9月15日早朝、何の予告もなく宮下公園を全面閉鎖し、同年9月24日には、行政代執行によりテントなど私たちの私物を撤去してしまいました。全面閉鎖の当日、渋谷区の職員、警備員に園外に追い出され――それも、からだごと担ぎ上げられて!――ケガを負ったのが、原告の元宮下公園野宿者です。

渋谷区とナイキジャパンが交わした協定書では、宮下公園は「宮下NIKEパーク」とネーミングされていました。しかし、渋谷区もナイキジャパンも世論の批判を恐れたのか、現在では、両者とも宮下公園を平仮名で「みやしたこうえん」と表記しています。

●強制退去もナイキ化計画も違法との判決を勝ち取る

2011年4月20日、私たちは、東京地方裁判所に渋谷区を被告とする国家賠償請求訴訟を提起しました。それから4年、今年3月13日、判決が下されました。

その内容は、

(1)渋谷区による元宮下公園野宿者への強制退去は違法

(2)①渋谷区による元宮下公園野宿者への所有物の除却命令は違

②渋谷区が所有物の除却を命令するさいの、のじれん、守る会に対する弁明機会の付与通知

の手続きは違法

ナイキジャパンと渋谷区との契約自体においても、

(3)区議会の議決を経ていないので違法

(4)ナイキジャパンとの契約は一般競争入札の原則に反する随意契約でありこれも違法

とする画期的なもの(他方で、行政代執行それ自体の違法性を認定しないなど不当な点も指摘できますが)。しかも東京地方裁判所は、まずナイキ化ありきという渋谷区の姿勢が(3)(4)を招き、(1)(2)を導いた、との私たちの主張を認めたといえるのです。東京地方裁判所は、渋谷区に対し元宮下公園野宿者への11万円の賠償を命じました。公園は一企業のものではなく、みんなのものだ! 私たちの訴えが、多少ではあれ汲み取られたと評価できます。

案の定というべきか、敗訴を受け、3月26日、渋谷区は東京高等裁判所に控訴しました。が、9月17日、控訴は棄却され、原判決が維持されました。渋谷区は上告を断念、10月1日、私たちの勝訴が確定しました。

現在、宮下公園は、違法な手続き・契約の下に改修された違法な状態にある公園である、といえます。今こそ渋谷区は、司法による判断を重く受け止め、元宮下公園野宿者を始めとする公園の利用者に謝罪して、宮下公園をナイキ化以前の原状に帰すことを決断するべきです。夜間の開放、監視カメラの撤去は当たり前、宮下公園の「再整備」などもってのほかです。

●「新宮下公園計画」を許すな

このかん渋谷区は、宮下公園の「再整備計画」なるものを準備してきました。「宮下公園を現在の二階建てから三階建てのビルにし、運動施設はもちろん商業施設も設ける」「施設の屋上が『新宮下公園』となる」「なお、公園の原宿側には高層ホテルを建てる」「ナイキジャパンとの協議? それはこれから」!? 今年3月の渋谷区議会・都市環境委員会(現/区民環境委員会)の席で、緑と水・公園課から、こんな計画が練られていることが報告されました。これが実現してしまえば、宮下公園はもはや公園ではなくなってしまいます。

しかし、渋谷区はさすがに、これはナイキ化計画を超える強引なものであると自覚したのか、一方で、東京地裁での敗訴にひるんだともいえるでしょう、再整備計画は廃案に追い込まれました。

が、しかし、です。かつて宮下公園ナイキ化計画を区議会議員として推進し、去る4月、その職に就いた長谷部区長は「内容を検討し、いずれあらためて、区議会に整備計画を提出するつもり」としています。

加えて渋谷区は、2020年オリンピック・パラリンピックの開催を控え、都市再開発を加速させて、野宿者などの「ジャマ者」を宮下公園はおろかあらゆる公園から追い出そうとしています。今、渋谷区が構想している「ホームレス対策」(「アイリブ
シブヤ・プロジェクト」と呼ばれているそうです)が、排除のための受け皿となってはなりません。

一切の排除を許さない闘いをともに! (2015.10.13)

宮下公園ナイキ化反対!国賠訴訟原告団

渋谷・野宿者の生存と生活をかちとる自由連合(のじれん)

みんなの宮下公園をナイキ化計画から守る会(守る会)

宮下公園アーティスト・イン・レジデンス

元宮下公園野宿者

東京都渋谷区東1―27―8(202号)

070(6511)0639

http://minnanokouenn.blogspot.jp/

9・15ー16国会前弾圧の救援を訴えます。

戦争法案反対の声が国会を取り巻き、9月14日から18日にかけて連日のように逮捕者が出て、その数は20名にも及びました。救援連絡センターで把握していない人もいますが、わかっている逮捕者は以下の通りです。
逮捕の事実経過
全員が公務執行妨害での逮捕ですが、センターに弁護人選任依頼(以下弁選と略す)が入っていない人については詳細は不明です。
9月14日 2名逮捕→すでに別の弁護人がついていて、16日に検事釈放
9月15日 3名逮捕→うち2名はセンター弁選で10日間勾留中。2名とも逮捕時に暴行されて負傷している。取調拒否、指紋採取と写真撮影も拒否。許せないことに赤坂署は赤坂3号を4日間も拷問と隔離のための「保護房」に収容した。強く抗議する。
他の1名はすでに別の弁護人がついていて、詳細は不明。
9月16日 13名逮捕→うちセンター弁選は7名、13名全員が分散留置で深夜に弁選が入る。センターと総がかり行動実の内田雅敏弁護士を中心に13名全員に弁護士接見。逮捕時に暴行されて負傷した人もいる。18日に7名が検事釈放され、19日に6名が10日間勾留決定。うち2名が取調拒否、指紋採取と写真撮影拒否、検察庁・裁判所への連行も拒否したため、車いすに乗せられて連行された。
9月17日 1名逮捕(80歳の男性)→すでに別の弁護士がついていて詳細は不明
9月18日 1名逮捕(60代女性、カッターナイフ所持)→センターの弁護士が接見したが、すでに別の弁護士がついていたので、その弁護士に任せることにした。
センターとしては弁選が入らなかった人についても問い合わせまたは弁護士に警察署に行ってもらっていますが、すでに弁護士がついている場合は、こちらもそれ以上の対応はしていません。
現在、センターは15日の2名と16日の6名。計8名の救援を担当しています。
逮捕者それぞれの所属するグループで救援会を組織し、情報交換と集約のために随時全体の会議を開いて、協力しながらやっていくことになりました。
9月25日には勾留理由開示公判を予定していますが、裁判所が連休中のため、打ち合わせができていません。24日に最終的には決まります。
不当逮捕された仲間を一日も早く取り戻そう
この間、戦争法に反対する国会前の闘いは連日連夜、取り組まれ、全国から数万人の人々が集まり、安倍政権への怒りの声をたたきつけました。国会に近寄らせないための警備は高圧的で鉄柵と機動隊のバスで国会前に近づけないように弾圧態勢を強化し、戦争法案阻止の闘いを力づくで押さえ込もうとしていたのです。その警備の暴力に抗して、多くの人々が怒りの声をあげ、その中で上記のような逮捕者がでたのですが、逮捕時に被害者とされた機動隊委員が勾留請求時には別の警察官になっているなど公務執行妨害の罪名はでたらめで、でっち上げです。逮捕はねらい打ちであり、警察の暴力で転ばされて逮捕された人も大勢います。この事実を明らかにしていきましょう。
逮捕されたのは「過激派」であるとか、逮捕された側が悪いとして、今回の弾圧に対して冷ややかで、むしろ警察と一体になって批判している勢力がいますが、彼らの主張はまちがっています。
あの状況では誰もが逮捕される可能性はあったのです。逮捕された仲間を取り戻すために全力をあげて闘うのは、戦争法に反対する闘いと一体の闘いです。弾圧する国家権力と闘わずして、戦争に向かう安倍を先頭とする支配者と対決することはできません。過去の歴史を見ても、戦争を遂行する時代には治安弾圧もまた強化されます。弾圧に対しては反弾圧・反権力の闘いを共同して反撃することが重要です。
一日も早く仲間全員を取り戻すために、救援活動への支援を訴えます。

*弁護士と多くの人々の抗議によって、赤坂署の被逮捕者は23日午前10時に保護房から出された。

救援連絡センター

国会審議から見えてきた安全保障関連法案の本質

7月16日、安全保障関連法案が衆議院で強行採決され、参議院での審議も大詰めを迎えつつある。政府側の説明は、様々な論点で二転三転したり、曖昧模糊な答弁に終始したりしている。特徴的な答弁は、「イスラーム・ステート」(IS)掃討作戦への後方支援について問いただされた際の、「政策的判断として軍事作戦を行う有志連合に参加する考えはない」、「法制度ができたとしても、要件が満たされれば必ず派遣するかといえばそうではない。その時々の政策判断がある」(安倍首相、衆議院平和安全法制特別委員会、5月28日)といったものだ。「××は法的に可能になるのか」という質問に、「××は現在はやる気はない」とはぐらかすのである。これでは、論議は深まりようがない。
だが、安保法整備の審議で、その本質が見えやすくなってきたことも確かである。
岸田外相は、8月26日の参議院平和安全法制特別委員会での答弁で、日本が自衛権の行使途中で集団安全保障措置に切り替わった場合のみ参加可能としてきた集団安全保障措置について、自衛権行使前でも参加可能になると説明した。具体的には、自衛権とは無関係に、「国連安保理決議あるいはそれに類するもの」を根拠に多国籍軍に弾薬輸送を含む後方支援という形で参戦するということだ。 国際平和支援法により、時限的な特別措置法で実施されたインド洋での給油活動などが恒久化されるのである。なお、「国連安保理決議あるいはそれに類するもの」という根拠付けが困難な場合でも、「そのまま放置すれば我が国に対する直接の武力攻撃に至るおそれのある事態等我が国の平和及び安全に重要な影響を与える事態」(重要影響事態)を理由に、多国籍軍への後方支援を実施するつもりだと思われる。イラク戦争型有志同盟軍への後方支援も可能にするというわけだ。
また、安全保障関連法案の成立を前提に、防衛省が南スーダンPKOに派兵されている自衛隊の任務に駆け付け警護を加えることを検討していることが、参議院平和安全法制特別委員会で明らかになった。安全保障関連法案の国際平和協力法(PKO法)改悪部分が、法案成立後に最初に政策として実施されるというわけだ。南スーダンは、西はISの活動が活発化しているマグレブやサヘル・サハラにつながり、北はイスラム主義政権が支配するスーダンと対峙し、南はソマリアでの「テロとの戦い」の主力を担うケニアに接する。いわばアフリカにおける「テロとの戦い」のヘソだ。また、PKO法改悪により、NATO諸国軍がアフガニスタンで行ってきたような治安支援活動への参加も可能になる。
防衛省が8月18日に参議院平和安全法制特別委員会理事懇談会に提出した内部資料では、「任務遂行のために武器使用」を行うケースとして、PKOの駆け付け警護以外にも邦人救出が挙げられていた。自衛隊法改悪で実施可能にしようとしている邦人救出も、アルジェリア日揮プラント襲撃事件などを念頭に置いたものだ。
アフガニスタン─イラク戦争型多国籍軍・有志同盟軍への後方支援、大規模戦闘終了後の治安活動、危険性の高いPKOでの他国軍への駆け付け警護、邦人救出、全て「テロとの戦い」を想定したものである。安全保障関連法案とは、「対テロ戦争」参戦法なのだ。なお、盗聴法の拡大、共謀罪新設などは、それと表裏一体のものである。
前述の防衛省内部資料は、2015年4月版の「日米防衛協力のための指針」(ガイドライン)と安全保障関連法案に基づく対米協力の拡大も検討していた。このうち具体的な検討項目として目立つのは「南シナ海での平時の警戒監視」だと報じられている(東京新聞八月一九日朝刊)。これに関して、中谷防衛相は、国会審議では可能性を否定しないが、あいまいにしか説明してこなかった。だが、法案成立後にはやる気満々というわけだ。
安全保障関連法案の第一の本質が「対テロ戦争」参戦であるとすれな、第二の本質は、この対中抑止力強化である。『サンデー毎日』(2015年6月28日号)は、これに関する興味深い記事を掲載している。それは、6月2日に訪日したフィリッピンのベニグノ・アキノ三世大統領と安倍首相の間で日比の「訪問軍協定」(VFA)手行ける交渉入りの密約が交わされたというものである。この日比VFAができれば、自衛隊がフィリッピン国内の基地を一時使用できるようになる。豪比VFAと同様の内容ならば、自衛隊が日米地位協定で在日米軍が得ているような治外法権を手にすることができる。
ここで思い出して欲しいのが、武力攻撃事態法の存立危機事態の定義である。それは、「我が国と密接な関係にある国に対する武力攻撃が発生し、これにより我が国の存立が脅かされ、国民の生命、自由及び幸福追求の権利が根底から覆される危険がある事態」というものだ。そして、この存立危機事態においては、日本が攻撃されていなくとも、集団的自衛権が行使できると政府は言っている。