《救援連絡センター【取調問題研究会】発足に寄せて》   ・・・取調問題研究会第1回【榎下一雄氏のお話を伺う】企画について                                                2016/6/28 運営委員 大口昭彦

 

日時  7月2日(土)13時~     場所   ほっとプラザ晴海 バスルート

1 センターの立場に立ったとき、取調とは何か

⑴ かつて<自白は証拠の女王>と言われた時代があった。そして、捜査・公判を

通じて極めて重視され、捜査とは自白をとることであるとされているかの観さえ呈した。

現在、これは一応否定され、<科学的捜査>の重要性が唱道されている。

しかし実際には、自白採取が重視されている現実には何ら変わりは無い。裁判上も自白は決定的に重視されている。例えば、厳しくなる一方である接見禁止・保釈の運用の現実は、そのことを端的に示している。

また今回の刑訴法改悪に於いて司法取引制度が導入されたが、これは<他人を売る自白の供述証拠>が、法規上一定の要件として明記され効果を発するものとされたのであり、自白・これを採取すべき取調がますます大きな機能を果たすことになってゆくであろうことは、歴然たる情勢である。

⑵ 取調は、捜査機関の事件形成に於ける最も主要な武器であると共に、証拠それ自体である。それゆえに、取調は捜査機関の事件構成に対する指導形象形成の場・手段であると共に、形成された理念を支える一定の供述を引出し、それを証拠物化するところの、事実上の強制手続である。

この指導形象の形成の過程に、公安警察による政治的弾圧の意図、刑事警察による事件仮構の意思が機能する根拠が存している。

 

2 <このような取調に対して、いかに対応すべきであるのか>、これについては、一定の議論が存在している。

⑴ 最も危険な見解は「本当のことは言ってもよいが、嘘の自白はしてはいけない」などというものである。センター関係者にとっては問題外の見解というべきであるが、弁護士一般などには結構存在している謬論である。ここから、「本当のことを言えば、無実性が明らかになり、解放される」ということになり、「だから早く真実を供述すべきである」などとの誤った方針が出されてくることとなる。

⑵ しかし多くの冤罪事件に於ける普遍的現実は、そのようなことのありえないことを示している。すなわち、「本当のことを言っても、『嘘を言っている』とされ、嘘を本当のこととして言わねばならない」という、取調室における、上記指導形象による力学の厳然たる存在である。この力学への屈服の結果、最終的に被疑者の人格性は解体され、浮遊状態となり、取調官の意のままの供述が引き出され、果ては、場合によっては被疑者自らが、嘘を本当のように信じて一定の供述を行うという事態にさえ立ち至ってしまうのである。

⑶ ところで、日頃センターに結集し議論している関係者が、上記のような謬論に立つということは無いであろう。それは、過去の弾圧事件や冤罪事件について体験ないし知識を有しており、上記力学の存在を認識しているからである。

センターの原則として広く確認されている完全黙秘、ひいては現在すでに一定の実践・議論の対象となっている取調拒否の思想・戦術は、ここからだけではないけれども、その重要部分に於いて、この体験・知識に立脚していると言ってよいであろう。

⑷ しかし、センターはそうであっても、一般社会的には必ずしもそのような体験はもとより、知識は存在しておらず、上記力学の認識・自覚はないのが実情である。弁護士なども一般には、上記のようなことを言っているという現実が直視されなければならない。

(また、この間大久保や経産省の闘争の弾圧救援の現場に於いては、苛烈な弾圧・粘り強い救援の歴史の現実(それは我々の直接に体験した事件のみならず例えば、松川事件・八海事件や狭山事件等にも遡って考究さるべきものである。)について一切無知な部分から、被弾圧者やセンターに対して、全く見当違いな不当な誹謗がなされきているという現実がある。我々はこれらを有効に粉砕してゆく必要が存する。)

⑸ 多くの冤罪事件の場合に、存在していたのはむしろ逆に、捜査機関・捜査官に対する被疑者の素朴な信頼であるか、ないしは「本当のことを言えば、それは必ず刑事手続に現れるはず」との単純な確信である(真面目な人ほどこのように考える傾向があるであろう)。そこから、「本当のこと」について供述は開始される。しかし現実には、前記力学によって、後には「あれは嘘でした」と自ら認めさせられる供述経過を辿らされることとなるのである。あるいは、「捜査で嘘を認めたとしても、裁判で本当の事を言えば、真実が解ってもらえる」との、苦しさの果ての正当化が一切通用しないという厳然たる事実が突きつけられた事例もまた普遍的である。

また、常にまず開始されるところの、巧妙狡猾な別件捜査への曖昧な対応の結果、本件が開始されたときにはすでに、<もう後戻り不能>状態であったという事態も、冤罪事件に於いて普遍的である。今後この問題は、例えば今市事件の場合の如くに、取調録画の権力的活用によって、いよいよ重要な問題となってくるであろう。

 

3 研究会について

⑴   センターが沿革的に、新左翼諸党派・運動に対する弾圧事件に対する闘争を中心に活動してきたこと自体は歴史的事実であるが、しかし運動理念・思想に於いて、活動領域がそれに限定されているわけでは決してない。逆である。社会の現実に生起してきているあらゆる違法不当な国家権力の行使に対して、最も原則的に闘ってゆこうとしてきたのであり、またそのような実践も相当程度蓄積されてきている。

⑵ それゆえに、我々センターは、関係者自らの直接の諸体験を血肉化して更に強く固められた思想性と決意を以て闘ってゆくことは当然であるが、しかし一方で、こうした通常事件の冤罪事件に現れている問題性についても広く学び、そのような冤罪事件に普遍的に存在している現実にふまえた闘争戦術を、深めてゆくこともまた、センターにとって極めて重要な課題であると言うべきである。

本<取調問題研究会>は、そのような立場から、多面的に取調問題を実証的・理論的に考察し、センターの運動を豊かなもの、更に影響力あるものへと発展させる一助となることを期しているものである。

 

4 榎下氏の体験談を伺う研究会について

⑴ 上記のとおりの趣旨から我々は、第1回の研究会として「土田邸・日石郵便局・ピース缶爆弾事件」の無実被告として苛烈な弾圧を受け(死刑を含む重罪の威嚇・恐怖が存した)、ここから無罪生還された榎下一雄氏から、取調の具体的体験談を伺い、取調問題について議論を行いたいと考える。この事件の救援活動には、センターは全力を以て取組み、被告全員無罪の大きな成果を挙げた。センターとして、その成果等を理論的にも共有してゆくべきである。

⑵   また榎下氏は当時、取調の経過について詳細なメモを作成されており(これに基づき後に「僕は犯人じゃない」ちくまぶっくす45 として刊行)、取調の現実について我々が知り、考えてゆく上で、その基礎となるべき貴重な事実が報告されるはずである。

 

⑶ 多くのセンター関係者の御参加・討論を呼びかける。

以 上