仙台保護観察所に抗議する  

宮城刑務所での受刑中に看守から虐待を受け、持病の後縦靱帯骨化症を急激に悪化させられた平田三男さんは、宮城刑務所と国を相手どって国家賠償裁判を起こした。
2017年11月5日に平田三男さんは宮城刑務所から満期出所した。
しかし、出所10日前の10月26日に、法務省管轄下の保護観察所の職員2名(渋谷省吾と渋谷の上司の女性)が平田さんの居房を「出獄後の調整のため」として尋ねてきた。
その場で保護観察所の職員2名は、「平田が入院できる病院は仙台市にはない。仙台市の主だった病院に連絡して、平田は救援連絡センターが支援して国賠をやっていると伝えた。主だった病院は救援連絡センターと手を切れば入院は受け入れると言っている」「平田が介護施設に入居するのもすべて国賠をやめて救援連絡センターと手を切れば介護施設は受け入れると言っている。国賠をやめて、救援連絡センターと手を切ってはどうか」「平田が希望しているバリアフリーの民間住宅は国賠をやめ、救援連絡センターと手を切れば入居は受け入れる」「民間の住宅で空いているところがあるが、保証人が必要だ。救援連絡センターと養子の方に観察所から連絡したが、保証人にはならないと言った。平田が入居できる住宅は仙台市内にはない。実家のある栃木県に帰った方がいい。栃木なら保護観察所が連絡して病院にも入院できるようにする。介護施設でも民間住宅でも入居できるように手配する。交通費は観察所が全額負担する」と言った。
平田さんは「国賠を妨害し圧力をかけて、脅迫するのか、救援連絡センターとは絶対に手を切らない。国賠訴訟はたとえホームレスをやっても絶対に取り下げない。死んでも宮城刑務所を許さない」と言って、職員の脅迫とも言える説得を拒否した。
2人は「もう面接の時間が終わりだ。今からでも遅くはない、救援連絡センターに手を切ると今ここで手紙を書いて出しなさい」と言ったが、平田さんが応じないため、あきらめて帰っていった。
保護観察所は救援連絡センターにも養子にも保証人になるかどうかの問い合わせはしていない。全くの嘘を言って、平田さんを屈服させようとしたのである。
救援連絡センターと養子が入院の準備のために打ち合わせていた病院は宮城刑務所からの紹介状を見て、直前になって入院の受け入れを拒否してきた。
11月5日の日曜日、平田さんは、入院もできず、住居も決まらないまま、車いすで出所せざるをえなかった。
出所間際の獄中者を脅迫して国家賠償裁判を取り下げさせようとしたこと、住居と受け入れ先の病院を確保することを妨害したことの2点について、保護観察所に対し、強く抗議する。

2017年12月9日   救援連絡センター
仙台保護観察所殿